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<マラソン特別講義> 鈴木宗男 「走り続ける不屈の政治家」 

text by

秦野邦彦

秦野邦彦Kunihiko Shinno

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photograph byAsami Enomoto

posted2012/05/09 06:00

<マラソン特別講義> 鈴木宗男 「走り続ける不屈の政治家」<Number Web> photograph by Asami Enomoto
マラソンとは、最初から上手くいくスポーツではない。
失敗を乗り越えたからこそ満足のいく走りができる。
Number Do「RUNの学校。~ランニングが楽しくなる方法、教えます~」では、数々の実績を残してきた有名人ランナーを講師に迎え、マラソンにまつわる
自らの経験を語ってもらった。

今回は、「フットワークの良さはマラソンのおかげ」と語る
新党大地代表・鈴木宗男さんの“貴重な教え”を公開します!

 仕事人間でもサブ4は達成できる! それを身をもって証明してくれたのが、新党大地代表の鈴木宗男。政治家として北海道と東京を行き来する多忙な中、還暦を迎えて出場した「東京マラソン2008」は3時間57分11秒で完走。そのパワーの源はどこにあるのだろうか。ここでは驚愕のエピソードを語ってもらった。

マラソンを始めたきっかけは、聴衆の野次。

 私がマラソンを始めたきっかけは、'88年の「第7回北方領土ノサップ岬マラソン大会」10km部門です。来賓として開会式の祝辞を述べるだけの予定が「政治家も口だけじゃなく走ってみろ!」という野次に応え、ぶっつけ本番で完走しました。当時40歳。タイムは1時間3分50秒と平凡でしたが、ランナーの皆さんの私を見る目が明らかに走る前と違っていたことが嬉しくて仕方ありませんでしたね。

 最も印象深い大会は、初めてフルマラソンに挑戦した'94年の「第10回NAHAマラソン」です。当時の私は沖縄北方特別委員長で、大会2カ月前に市長さんから「10周年の記念大会ですので、花を添える意味で形だけでもスタートラインに立っていただけませんか。100mほど走ってもらえれば結構ですので」と言われて、内心カチンときまして。その頃10km45分で走っていた俺を馬鹿にしてるのかとね。それで出場することになったんです。ところがこのときの記録が一番良いんだなあ。3時間44分40秒は、いまだに自己ベストです。46歳ですから、まだまだ若かったということですね。

マシンで15km走ることができたらフルマラソンは楽。

1948年1月31日、北海道生まれ。新党大地代表。著書に『ムネオ流マラソン術』(講談社)。

 逆に失敗したのは、4時間40分06秒のワースト記録を出した'97年「第13回NAHAマラソン」。この年、北海道・沖縄開発庁長官に就任して初めて閣僚入りしたこともあって完全に練習不足でした。大臣なので沖縄県警のSPが4人ついて走ってくれたんですが、30kmを過ぎたところで太腿が痙攣をおこしたんです。休憩中、SPが懸命にマッサージしてくれたおかげで再び走り出すことができたんですが、後にも先にもこれほど苦しいレースはなかったです。以来、フルは「東京マラソン2007」まで10年走りませんでしたから。

 私は普段のトレーニングで屋外を走ることは一切ありません。スポーツジムのマシンだけ。マシンのいいところは集中力が付くことです。距離や時間を設定したら後はひたすら走る。マシンで15km走ることができたらフルマラソンは楽だと思いますね。屋外だと景色が変わる分、走りやすいですから。フルを目指す方は最低1日7~8km、10日に1度20km走れば持久力も付きます。あとは並行して筋肉をつけることも忘れないこと。特に膝の周り、脚の付け根は鍛えておかないと怪我の元です。

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