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<Number800号特別企画・地域に生きる> 王子イーグルス 「創部86年の老舗クラブと苫小牧」 

text by

小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

PROFILE

photograph byKunihiko Katsumata

posted2012/03/22 00:00

創部以来ずっと王者として君臨し続ける王子製紙アイスホッケー部、
イーグルス。他のアイスホッケー部の廃部が相次ぐなか、
イーグルスが氷都苫小牧を舞台に戦いつづける理由は何なのか――。
企業スポーツとして、「地域とともに生きる」ことの重要性を見つめる。

 アイスホッケーは、王子製紙の社技である。

 試合後のロッカールームで、また盛り上がる祝勝会場で、王子のホッケーマンたちはある歌をうたい継いできた。

 作詞はあの北原白秋。「苫小牧工場歌」は木材豊かな北の自然を詠い、製紙業の繁栄を称えて曲を閉じる。

 懐かしいね、と桝川順司が口をひらく。元王子イーグルスの選手にして常勝チームの監督も務めた、チームの生き字引的存在だ。現在は、氷都苫小牧の象徴である白鳥アリーナの一角に机を持ち、スケート文化の普及に心を砕いている。

 こんな質問をぶつけるには、最適の人物だろう。近年、アイスホッケー部の廃部が相次ぐなか、王子イーグルスはなぜ古豪であり続けられるのだろうか?

「王子はつねに優勝を争ってきたチームですよね。今から20年ほど前、NHKのアナウンサー西田(善夫)さんがこんな話をされました。『創部以来ずっと王者として君臨しているのは王子のアイスホッケー部と早稲田の野球部だけ』と。日本に3つとないチームがつぶせますか」

 たしかに、つぶすなんてあまりに惜しい。そもそも創部の年を大正時代にまで遡るチームは全国でも稀だろう。

かつて苫小牧を拠点にする2チームが全日本選手権で雌雄を決した。

 チームの原点は同好会。大正15年、苫小牧工場に勤める社員が仲間を集めて「イーグル」を旗揚げしたのが始まりだ。当時はまだスケート靴が高価で、鉄工部で手作りした、と創立50周年の記念誌には書かれている。昭和6年になると同好会がクラブに格上げされ、ここに「王子イーグルス」の歴史が幕を開ける。話ががぜん面白くなるのは昭和21年、同じ苫小牧に岩倉組というライバルが現れてからだ。

 胸に楓、緑のユニフォームの岩倉組に対し、王子は赤が基調のユニフォーム、応援の仕方も両者は対照的だった。

「ドンドコドンドコ、向こうは岩倉太鼓という大きな太鼓が名物で、王子はブラスバンドで盛り上がる。センターラインを挟んで、くっきりとカラーが分かれるんです」

 昭和20年代の後半になると後発組の岩倉も徐々に力をつけ、町を二分する熾烈な優勝争いが繰り広げられるようになる。しかも、その舞台は全日本選手権。苫小牧には全国一の実力を持つチームが2つあったということだ。

「こんな小さな町ですから、飲みに行く店も決まっているでしょう。勝った方があとから店へ来ると、負けた方はみなその店を追い出される。とにかく優勝すればその1年間はずっと幸せ。負ければその逆で、肩身が狭かったです」

 まさにプライドを賭けた戦いだ。観る方にとっても面白くないはずがない。互いの個性と個性が際だつほど、物語は熱を帯び、周囲もそこに引き込まれていく。

<次ページへ続く>

【次ページ】 アイスホッケー冬の時代、銀座の王子製紙本社では……。

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