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ロンドン五輪を待たずして、
唯一の金メダリスト逝く。
~ボクサー・桜井孝雄を偲ぶ~ 

text by

前田衷

前田衷Makoto Maeda

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photograph byKYODO

posted2012/01/31 06:00

ロンドン五輪を待たずして、唯一の金メダリスト逝く。~ボクサー・桜井孝雄を偲ぶ~<Number Web> photograph by KYODO

中央大4年時に五輪で金を獲得し、翌年、三迫ジムへ。プロ戦績は32戦30勝(4KO)2敗

 オリンピックイヤーが明けた途端に突然の訃報である。1月10日、食道がんのため70歳で逝った桜井孝雄氏。48年前('64年)の東京五輪バンタム級金メダリスト。日本のボクシング史上、唯一の五輪優勝者である。

 あくまで個人的な意見だが、半世紀近くボクシングを見てきて、桜井のテクニシャンぶりは別格である。このサウスポー以上に強い選手、巧い選手がいたとしても、こと相手のパンチをかわす技術で、桜井の右に出る選手は思い当たらない。相手の攻撃を見事にかわすボクサーをよく「アートフル・ドジャー」と呼ぶが、桜井こそは「日本のアートフル・ドジャー」だった。「あのすばしっこさはまるでネコ科の動物だと思った」と、中央大の先輩・田辺清('60年ローマ五輪の銅メダリスト)は入部当時の桜井のカンのよさに舌を巻いた。本人は「千葉の田舎育ちで自然児のように遊びまくっていたのがよかったのかな」と言っていた。

'68年、ファイティング原田が失ったバンタム級王座の奪還を目論む。

 五輪では決勝で韓国の鄭申朝を倒しまくった果敢な戦法が印象的だったが、本来は相手に仕掛けさせ、これに敏捷に反応して打たさずに打つ頭脳的戦法を得意とした。だが、鳴り物入りでプロに転じてからはこの才能が裏目に出る。'68年、ファイティング原田が奪われた世界バンタム級王座の奪還を目論んでライオネル・ローズに挑んだ試合では、2回に的確な左ストレートを決めて王者に尻餅をつかせながら、その後安全運転に徹したため、世界にあと一歩届かず惜敗した。

ロンドン五輪での後輩ボクサーたちの活躍を待たずに……。

 消極戦法を批判されることもあったが、本人にアマ時代からのスタイルを変える気はなかった。「体を壊して引退したって、誰が面倒みてくれるってえんだ」と、べらんめえ調で言っていたものだ。32戦して唯一のKO負けはロサンゼルスで当時無冠の怪物ルーベン・オリバレスに6回で倒された試合。「キャンバスがフカフカで動けなかった」との本人の弁解にさもありなんと思ったものだった。

 常にわが道を行くのが桜井流で、東洋チャンピオンのまま引退すると、少し回り道もしたが、'96年から東京・築地でジムを運営していた。アマの後輩たちが奮起し、ロンドン五輪では日本に44年ぶりのメダリスト誕生かと期待されるなか、結果も待たずに旅立ってしまうとは、これもこの人らしいのかもしれない。

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