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フレージャーが残した
アリとの名勝負と遺恨。
~スモーキン・ジョーの死に思う~ 

text by

前田衷

前田衷Makoto Maeda

PROFILE

photograph byAP/AFLO

posted2011/12/07 06:01

1971年の初対決では無敗を誇っていたアリからダウンを奪っての圧勝。世界に衝撃を与えた

1971年の初対決では無敗を誇っていたアリからダウンを奪っての圧勝。世界に衝撃を与えた

 あのスモーキン・ジョーが死んだ。試合中は後退を知らず、フォアマンに6度倒されながらなお戦い続けようとしたタフガイが、67歳の若さでがん死するとは……。

 ジョー・フレージャーはモハメド・アリの最大のライバルであり、アリに初黒星をなすりつけた男でもある。ボクサー型のアリ対ファイター型のジョー。天才対ブルーカラーの希望。2人は何から何まで好対照をなす宿敵同士だった。

 3度の対決は今や伝説となったが、特に当時「世紀の一戦」と言われた'71年ニューヨークMSGの初戦の激闘は忘れがたい。リングサイドカメラマンとして『ライフ』が派遣したフランク・シナトラが、興奮して撮りまくった手ブレの試合写真。最終15回にジョー得意の左フック一閃、アリが両脚をはね上げてダウンしたシーン。'75年の第3戦「スリラー・イン・マニラ」で互いに死の淵を覗くところまで消耗戦を続けた果ての14回終了時、ジョーの意思に反してセコンドのエディ・ファッチが棄権を申し出たシーンとともにリング史に残る名場面である。

見事なライバル関係を「負の遺産」に感じるボクサーの宿命。

 サウスカロライナに生まれ、「ロッキー」の舞台と同じフィラデルフィアでボクサーとなり、東京五輪で金メダル獲得。プロで世界王者となったのはニューヨーク。キングストンで王座を失い、マニラでアリと死闘を演じた。

 アリとの間に引退後も残された「しこり」についても触れねばなるまい。“戦うプロモーター”アリは挑発的な言辞を弄して対戦相手を揶揄し、試合を盛り上げるのを常としていた。リストンを「醜い熊」、フォアマンを「ミイラ」などと名付け、フレージャーを「ゴリラ」「アンクル・トム」と呼び、メディアの前でことあるごとに罵倒し続けた。

 アリという強烈極まりないエゴの前では誰もが引き立て役を務めさせられたのだが、誇り高きジョーはこれを受け入れなかった。引退後は仕事で一緒になることもあり、公の場では大人の対応を見せたものの、アリを最後まで許さなかった。アリもジョーが求めた公の場での謝罪を拒み、ジョーは内輪の席で、自由に口がきけないアリの言動を真似ることもあったという。両雄のライバル関係が見事だっただけに、なおさらその「負の遺産」にボクサーの宿命を感じざるをえない。

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