<結果レポート>最も印象深い日本サッカーの特別な一日は?

<結果レポート>最も印象深い日本サッカーの特別な一日は?

編集部より

 この春、ナンバーは創刊30周年を迎えます。これを記念して3月18日発売号で、創刊30周年特別編集「日本サッカー マイ・ベストゲーム」を特集しました。この中では、三浦知良、中田英寿、中山雅史ら各選手に自身のベストゲームを選び、語ってもらっていますが、ファンのほうで「日本サッカーの特別な一日」を選ぶとどうだろうか? ということで、投票していただきました。ご投票いただいた意見の一部は雑誌に掲載しましたが、ここでは載せきれなかったコメントの一部をご紹介します。

 1位は、ドーハの悲劇。あの衝撃は忘れられません。そしてただ悲劇的であるだけでなく、日本サッカーが(Jリーグも含めて)その後、大きく飛躍するためのきっかけとなった「事件」でもありました。

 2位は、僅差で、ジョホールバルの歓喜。重たい扉をついに開いた感動的な夜でした。実際にマレーシアまで行かれた方からのコメントもいただきました。ゲームとしても、最高にスリリングで、見た者を興奮させずにおかない一戦でした。

マスリラ = illustration
http://www.masulira.com/

 3位以下はかなり票が割れてしまいました。28年ぶりの五輪出場やナイジェリアワールドユースでの躍進に並んで、前回ワールドカップでのオーストラリア戦の「悲劇」にも票が入っているのが印象的です。

 その他ではJリーグ誕生を挙げた方が目立ちました。Numberにとってのサッカーも、やはりJリーグのスタートから大きく変わったのでした。

ユーザーの声

ドーハの悲劇(1993年10月28日) 25.4%

  • 私が小さいころサッカーはマイナースポーツであり、テレビ中継などは年に数えるほどしかありませんでした。そういう時代にブームになっていたキャプテン翼の中で展開する世界相手の戦いは夢のようなものでした。だから私にとってW杯は漫画の中での話であり、現実に日本代表がW杯の舞台で戦うなんて夢のまた夢でした。

    そんな夢の中の夢が現実に手の中に入り、そしてするりと逃げていったあの瞬間は生涯忘れることができません。スローモーションのように吸い込まれたロスタイムのイラクの同点ゴール、その瞬間に崩れ落ちる若き日のゴン、呆然と座り込むラモスをはじめとした代表イレブン。

    あれから20年近くたった今でもカズが現役にこだわり、日本代表やワールドカップを事あるごとに公言する姿を見ると、W杯への切なる思い、そして日本中の期待を背負って戦ってきた重みというものを感じずにいられません。 【30代・男性】

  • ワールドカップの重みを日本中が知った日。

    選手たちが呆然と立ちすくみ、肩を震わせて座り込む姿を見ながら、サッカーの恐さとワールドカップという存在の大きさを初めて実感した。もしこの経験がなければ三大会連続ワールドカップ出場という贅沢を、贅沢として味わえていただろうか。

    どん底から、Jリーガーが本当のプロになり、観客がサポーターとなった。次第に当たり前となりつつあるワールドカップが、あんなにも遠くに感じた日はなかった。 【20代・男性】

  • W杯出場の原点が「ドーハの悲劇」の1日です。

    選手のみならず日本中が屈辱と悔しさを味わったからこそ日本サッカーの発展につながりましたし、これがなければ現在の日本はなかったと思います。

    「悲劇」がなければ「(ジョホールバルの)歓喜」もありませんよ。
    【30代・男性】

フランス・ワールドカップ出場決定(1997年11月16日) 23.8%

  • 後にも先にも男同士で、あれほど強く抱き合い涙した事は有りません。

    まさに言葉など無意味で。スポーツが人間の心を結びつけ、洗い、解放するんだと言う事を初めて実感しました。延長に入ってからの『音』の記憶が一切有りません。それ程、集中していたのだと思います。岡野選手のシュートが入った瞬間から『音』が、歓喜の『音』が耳に爆発的に飛び込んで来たのを覚えて居ます。

    あの日こそ日本サッカーが世界に向け『産声』をあげた日です。 【30代・男性】

  • 昼間の暑い日ざしに、突然のスコール。

    何もない小さなスタジアムの周りには取り立ててお店もなく、日本なら100円くらいと思われるおにぎりが500円で売られていましたが、それ以外に空腹を満たすものはありませんでした。

    ひたすら開門を待ち、入場と同時に応援開始。歓喜の瞬間を向かえ、スタジアムを後にするまでの6時間以上、ほとんど座ることなく、叫び通しでした。

    試合終盤はほとんど記憶もないくらいに、気持ちだけがピッチの中に飛んでいたと思います。歴史を変えた瞬間に、ほんの少しだけ力になれたような気がして、いつまでも離れたくありませんでした。

    ドーハがあったからこそのジョホールバル。あの時の悔しさが、我々をマレーシアまで駆り立てたのです。

    日本サッカーが世界への階段を駆け上がる過程を、この目で見る事が出来たのは、一生の宝物だと思っています。 【30代・男性】

  • 今後の日本のサッカーシーンにおいて、この一日を超える日が生まれるとは思えない。

    すでに自国開催による次回大会の出場が決定している状況で、ともすれば初出場を金で買ったとも言われかねないという危機感を持っていた人間も少なくなかったと思う。つまり、フランスW杯出場は悲願というより至上命題だった。

    そんな崖っぷちで、指2本だけ引っかかっている状態で迎えたジョホールバル。深夜に壁の薄い安アパートで歓喜の雄叫びを上げても苦情が来なかったのは、誰もが他人の声が聞こえないほど叫んでいたからではないだろうか。 【30代・男性】

ナイジェリア・ワールドユース決勝進出(1999年4月21日) 7.2%

  • 「ユース」とはいえ、FIFAの公式大会での決勝進出。世界が最も近く感じられた瞬間であり、サッカーがプロ化された効果を初めて強く感じました(決勝はボコボコにされましたが…)。

    と同時に2002年のW杯での躍進を期待し、さらにサッカーにのめり込む原因となりました。 【20代・男性】

ドイツ・ワールドカップ第1戦(2006年6月12日) 6.7%

  • ドーハの悲劇で涙して、日韓ワールドカップでようやく世界に近付けたような気がした。

    ジーコ監督のもと、黄金世代が主力として出場したドイツ・ワールドカップにはとても期待をしていた(ドイツにも2-2だったし)。フタを開けてみればオーストラリアに大敗。試合後夜中のソファーの上で1時間動くことができませんでした。 【20代・男性】

「マイアミの奇跡」(1996年7月22日) 5.6%

  • 川口選手の好セーブが印象に残っている。いま映像を見ても得点シーンはあまり格好いい物ではなかったが、ブラジルに点を取られずに勝ったという事実は大きなことだったと思う。

    私は通勤途中でラジオで聞いていたので、特に印象的だった。 【50代・女性】

アジアカップ中国大会優勝(2004年8月7日) 5.6%

  • 実は、私がサッカー観戦に本格的にのめり込んだのは(といっても、主にテレビで、ですが)この、アジアカップ中国大会でした。

    試合内容云々ではない、サッカー、スポーツの醍醐味が、この大会には凝縮されてたと思います。

    オマーン戦での俊輔の芸術的なゴール、ヨルダン戦の壮絶なPK戦、バーレーンとの死闘、ブーイングで燃えに燃えた決勝の日中戦…。何より、あのアウエーの地で戦い抜いた選手達。彼らは本当にタフで熱い、強い男達でした。日本も捨てたもんじゃないなと、俺も頑張ろうと、思わせてくれました。

    今年はついにW杯。目標はベスト4。もちろん結果も大事ですが、それだけにとらわれるのではなく、停滞ぎみの「ニッポン」を元気付けられるようなタフで熱い戦いを、日本代表には期待したいです。南アフリカまでは行けませんが、応援しています。 【20代・男性】

アトランタオリンピック出場決定(1996年3月24日) 5.2%

  • 日本サッカーの影に陽を当てた歴史的一日として選びました。あの日のオリンピック代表チームのサウジ戦前の戦況は決して良くは無かった。それを覆したのは「将軍」では無く「闘将」でもあった前園だった。

    相手カウンターの恐怖の中、自ら前線にドリブルで飛び込み全得点を挙げ、終盤、サウジの反撃の時間帯には守備陣を鼓舞して。

    28年ぶりの切符を獲得した、若者達は後の世界への出場が日常的なものとなるキッカケを作った救世主となった。このように日本代表の若者達が開けた「重い扉」の小さな入口は十数年経ち、より大きな入口となった。

    しかしこの南アフリカW杯の闘いかた如何によってはこの入口を狭まる事になるかもしれない。あの日戦い抜いた若者達は後のW杯へ繋げる想いで予選を戦い抜いた。

    彼等の想いを無駄にしないために私は南アフリカ大会終了後しっかり大会総括を検証して欲しい。日本サッカーを再び暗黒時代に導かない為に。 【40代・男性】

その他 15.4%

  • メキシコオリンピック3位決定戦

    それまでは、決してメジャーなスポーツとは言えず、一部の盛んな地区(例えば浦和・静岡・広島)が絶対的に強かったサッカーの底辺が広がったきっかけが、この試合での勝利だったと思います。

    徹底的に守って、1点を取って勝利するというそれまでの日本サッカーのスタイルが、釜本邦茂の出現によって、強烈にイメージチェンジをしました。私にとって、日本代表のセンターフォワードは今でも“カマモト”です。

    その後、ブラジルから日本リーグに移った、ネルソン吉村や、セルジオ越後、ジョージ与那城といった選手が、中盤にタレントの多い、今の日本のスタイルを確立するきっかけになったと考えると、メキシコオリンピック以降、日本リーグが盛り上がったことは、私にとって、最も印象深い日本サッカーの特別な一日です。 【50代・男性】

  • Jリーグ開幕(1993年5月15日)

    Jリーグ開幕戦が行われた1993年5月15日、この日こそが、日本サッカーの特別な一日、日本サッカーの夜明けであったと言っていいでしょう。

    この日があったから、ドーハの悲劇も、ジョホールバルの歓喜も訪れた。その後の4回連続W杯出場、そして今や若年層に限ってはサッカーの競技人口は野球をしのぐほどの人気を博すまでになった。もちろん、Jリーグ以前を支えた先人たちの努力は讃えられるべきですが、しかし、Jリーグ開幕戦が日本サッカーの夜明けであったことは間違いない。

    30年間サッカーファンをしていますが、今でもJリーグ開幕戦のヴェルディ川崎と横浜マリノスの試合、その試合前のセレモニーを思い出すと、目頭が熱くなります。 【30代・男性】

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