NumberEYESBACK NUMBER

久万・阪神元オーナーが
生前語った“情”と“夢”。
~「一緒に死んでやれ」の原体験~ 

text by

渡辺勘郎

渡辺勘郎Kanrou Watanabe

PROFILE

photograph byNIKKAN SPORTS

posted2011/10/06 06:00

2003年10月、監督交代会見に、星野前監督、岡田新監督と臨む

2003年10月、監督交代会見に、星野前監督、岡田新監督と臨む

 阪神タイガースの名物オーナーとして知られた久万俊二郎氏が、90歳で亡くなった。久万氏が6代目オーナーに就任したのは1984年オフのこと。以後、2004年に大学生への裏金問題で辞任するまでの20年間、球団トップとして君臨した。

 就任当初は、球界に多い、親会社役員の“腰掛けオーナー”だったことは否めない。'85年に日本一に輝いたものの、やがてチームは最下位が定位置のような低空飛行を続ける。甲子園球場の観客動員数は、'90年代後半、危機的レベルにまで落ち込んだ。オーナーの尻に火がついた。

「慌てましたよ。タイガースという球団の人気に胡坐をかいていたと思われても、仕方ない」

 阪神グループの連結売り上げは当時2800億円、球団のそれは約100億円。つまり、売り上げ規模で言うと28分の1程度の子会社の経営に、久万は本腰を入れ始めたのだ。

 その最大の答えが、野村克也と星野仙一という2人の外様監督の招聘であった。そこにはOB監督特有の“甘え”を排除する意味もあった。そしてその成果は'03年、リーグ制覇という形となって現れた。

死と瀬戸際の戦場にあった、経営者としての “原体験”。

 飲酒運転で逮捕された主力選手を「欠陥商品」と酷評し、監督の采配を「スカタン」と言い放つ――。巨人の渡辺恒雄会長と並び、その歯に衣着せぬコメントも話題を呼んだ。だが、彼には、野球ファンの耳に残る辛辣な言葉を口にするオーナーとしての姿とは、全く別の面があった。

「タイガースのオーナーは、バカだ、アホだ、と言われるのを気にしていたら、もちません。それも半分は商売だと思ってましたし、演じていましたからね、オーナーという立場を」

 そんな久万氏から、経営者としての“原体験”を聞いたことがある。

「一緒に死んでやれ」

 東大に籍を置いたまま、1942年に出征した久万氏は、終戦直前の'45年の春、一個中隊を預けられ、そう指示されたという。

「部下が目の前におって、どっちが先に死ぬかという状況になると、体は別々ですけど完全に運命共同体です。覚悟を決めて周りを見ると、全てが新しく見えて、ここで部下と一緒に死んでもエエと、パッと気持ちが変わりました。親、兄弟、友だち……彼らの楯になるのなら、とね。部下に対する思いやり、情のない上司なんてナンセンスです。必ずどこかで救いを考えとかなアカンし、最後は一緒に泣いてやらないかん」

<次ページへ続く>

【次ページ】 久万氏に教えられたプロスポーツ経営の可能性。

1 2 NEXT
1/2ページ

ページトップ