心に残るF1鈴鹿でのセナの名勝負は?

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 今年も10月に鈴鹿でF1日本GPが行なわれます。
  F1日本GPは、途中、富士スピードウェイで開催されたこともありますが、1987年以来、すでに20回以上が鈴鹿で行なわれ、数多くの名勝負が繰り広げられてきました。
  雑誌Numberでも9月29日発売の788号で、鈴鹿でも大活躍したアイルトン・セナを中心に
「F1 鈴鹿伝説」特集を組む予定です。

 そこで皆さんにお尋ねします。
   1987年から93年までの7年間、鈴鹿を疾走したセナのレースで最も心に残っている名勝負はどれでしょうか?

●1987年 初の鈴鹿での開催で2位に入賞。チームメイトの中嶋悟も6位に入る(ロータス)。

●1988年 スタートでエンジン・ストールするも、プロストとのマッチレースを制し、優勝。初めてのワールドチャンピオンも獲得する(マクラーレン。以下同)。

●1989年 プロストとクラッシュ。プロストがワールドチャンピオンに。

●1990年 2年連続でプロストとクラッシュ。セナがワールドチャンピオンに。

●1991年 マンセルとワールドチャンピオン争いをしていたが、マンセルのリタイアによりセナに決定。ゴール前で優勝はチームメイトのベルガーに譲る。

●1992年 ホンダが活動休止を発表し、ヘルメットに日の丸をつけて臨むも3周でリタイア。

●1993年 '88年以来の優勝を飾る。2位はプロスト。これが鈴鹿での最後のレースとなった。

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すべて| 87年、初の鈴鹿開催で2位入賞| 88年、初の世界王者獲得| 89年、プロストとクラッシュ| 90年、2年連続でプロストとクラッシュ| 91年、マンセルのリタイアで世界王者に| 92年、ホンダが活動休止を発表| 93年、鈴鹿での最後のレース|
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  • やっぱりこれでしょう。ポールポジションからのスタートで、まさかのエンジンストールで14番手まで後退。しかしこのあと驚異の追い上げでトップを行くプロストを猛追し、ついに28周目のストレートエンドで、当時備わっていたオーバーテイクボタンを使ってインからパス。その後は余裕の一人旅を続け、そして最終ラップ、「130Rにさしかかった時に神が現れ、まばゆいばかりの光が差し込んだ(セナ・談)」。

    セナは3度のドライバーズチャンピオン(88・90・91年)をいずれも鈴鹿で決めていますが、後々の語り草になるエピソード満載のこのレースは、セナファンにはもちろん、本人にとってももっとも印象に残る「チャンピオン決定レース」だったのではないでしょうか。

    デュークNaveさん2011/09/06 18:58に投稿

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  • 日本におけるF1人気全盛期であり、またかくもF1という世界に「闇」があることを知らしめたことで、1990年は印象強い。

    とにかく前年度の鈴鹿の後味の悪さが残る中、スポーツマンシップに則って両者が臨むと思っていたが、逆に暗部を露呈した。ホンダとの蜜月もあって、日本人はセナに物静か且つ神懸り的なオーラを感じていたが、一方で彼の心の影を目の当たりにし、にわかF1ファンが恐怖すら覚えるほどのインパクトだった。そしてF1という競技の経済規模・プライド・文化圏の違いも見せつけられ、華やかな反面で縮めがたい距離も感じさせる出来事。

    日本人ばかりフィーチャーするのが通例な日本メディアが、亜久里の表彰台と同じくらい、チャンピオンシップの結末を報じたことは興味深い。 但しその報道がワイドショー的に語られたことが、日本のモータースポーツ人気定着を阻害したと思う。1990年は一つの分水嶺だったのではないか。

    strike-2さん2011/09/06 16:19に投稿

    10
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  • 名勝負は数多いけど、世界王者が決まったあとに
    ベルガーに優勝を譲った場面かな。

    昔のF1は、こういった人間臭さがまだあった。
    セカンドドライバーに感謝するとか、こいつにだけは
    絶対負けないみたいな気迫とか。

    最近のF1はハイテク化されて、ドライバーの技量も
    画面から伝わらないし、同チームのチームメイトの
    いざこざがクローズアップされたり、昔の魅力が
    すっかり無くなってしまった気がする。

    kmcstartさん2011/09/07 01:19に投稿

    6
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  • このレースのテレビ中継を観たのが初めてのF-1体験でした。この年のチャンピオンシップの流れも、セナとマンセルの個性も、マクラーレンとウィリアムズの力関係も全く知らず、ただなんとなくテレビを眺めていただけなのですが、セナとマンセルの走りに次第に惹き込まれ、マンセルのリタイヤの瞬間には思わず声を挙げていました。そして最後にマクラーレンの2台が並んでゴールする映像は、本当に美しく感じられました。あの光景を観た時から、私はセナのファンになりました。

    鈴鹿でのセナの名勝負を客観的に考えれば、88年の逆転劇や89年と90年のクラッシュ、93年の最後のレースが浮かびますが、セナと鈴鹿と言えば個人的には目に焼き付いている91年のレースが真っ先に浮かびます。

    蛇蔵さん2011/09/06 19:07に投稿

    5
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  • ある意味、それ以後続く日本でのセナ人気の発火点になったのではないかと思うアクシデントだった。プロストを卑怯と見るかセナを可哀想と見るか、日本人の心に響いたのは後者だった。セナが亡くなり早くも17年と言う月日が流れたが、セナという存在が今も多くの人々に語られ続ける訳は、その純粋な速さ・強さだけではなく生き方そのものに『詩的』なものを感じるからではないかと思う。ひょっとすると自分が日本人である事がそう感じる理由かも知れないが・・・

    yoshifukuさん2011/09/06 20:38に投稿

    4
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  • 詳しいレース展開は記憶していないが、プロストとのクラッシュで決着したシーンは強い記憶として残っている。
     「世界最速の男」と呼ばれたセナがチェッカーを切らずに王者決定し、しかもクラッシュの相手が2年連続のプロストという深い因縁。勝負の厳しさと「神」と称された男の人間臭い一面をみせた表情が深く心に残っている。

     クラッシュ決着が名勝負かというと微妙な気がするが、これもF1だ永遠に語り継がれる勝負の一つであることは間違いない。

    たったこさん2011/09/07 08:20に投稿

    4
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  • ホームストレートでプロストを、内側ぎりぎりのラインでパスしていったのは今でも目に浮かびます。

    とうふやさん2011/09/06 16:42に投稿

    3
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  • どちらかというとアンチ・セナ派だった自分が、
    改めてセナの速さと強さを思い知らされたレースでした。

    91年最速マシンだったウイリアムズ・ルノーFW14を持ってしても、
    鈴鹿のセナには勝てないのかと無力感さえ感じました。

    マンセルリタイヤ後のセナの速さやゴール後の表情もさることながら、
    マシンを降りたマンセルのやるせない表情も非常にインパクトに残っています。

    その前2年が残念な結末だっただけに、
    この年のレースは清々しく感じたことを記憶しています。

    こんたどらぐらまどさん2011/09/06 20:59に投稿

    3
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  • えげつないなぁ。と、思った。

    レースを成立させた上での名勝負はたくさんありますけど、これでワールドチャンピオンになったわけですから。心に残ってます。あらためて、ご冥福を祈ります

    たけまろさん2011/09/06 22:42に投稿

    3
    そう思う!
  • この頃、私はまだ小学校入学前で、ウチの父が録画していたビデオでF1を見てました。
    たぶんその映像の中で、一番強烈に残っているシーンだと思います。
    同じチームのマシン2台が、何故シケイン入口で接触したのか、当時はまったくわかりませんでした。
    今、大人になって真相を見返すたびに、あの映像が鮮明に呼び起されます。

    野本智裕さん2011/09/07 11:42に投稿

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