野球善哉BACK NUMBER
東北6県すべての代表校に賞賛を!
光星学院が戦い抜いた“最高の夏”。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2011/08/22 12:00
3年生で主将の川上竜平は、決勝戦の翌日には「(夏の甲子園は)最高の場所でした。負けてしまったけど、やることはやった。胸を張って八戸に戻れる」と語った
悔しいというより、被災地の人に申し訳ないという……。
2回戦(金沢戦)で敗退した聖光学院も同じだった。プロからも注目されていた右腕・歳内宏明は金沢の好投手・釜田佳直と投手戦を演じ、14奪三振を奪う力投。しかし、試合には敗れた。
試合後、歳内は涙こそ見せなかったが、被災地への無念の想いを口にしていた。
「悔しいというよりも、応援してくれた多くの人や福島の人に対しての申し訳ないという気持ちのほうが強い」
勝てば恩返しで、負ければ自らを責めるしかなくなる。そもそも、恩返しとはそういうものではないとは思うが、佐々木監督が流した涙や歳内の言葉からは被災地に住む人間にしか分からない、切なる想いがあったのだろう。
そんな東北勢の気持ちを和らげる活躍をしたのが光星学院だった。
光星学院の置かれた立場は複雑なものだった。青森県代表ということで、被災3県を代表したチームほどのプレッシャーこそなかったが、控え部員の一人は「(被災地として)取り上げられるのは3県ばかりで、八戸も被害があったのにニュースでは取り上げられない」と語り、小坂貫志部長も「うちのチームが頑張る姿を見せることで、八戸のこともクローズアップされてくると思う」という被災地としての辛い心情を吐露していた。
“外人部隊”と揶揄されたナインの秘められた想いとは?
また、光星学院ナインに県外出身者が多いことで、「外人部隊」などと揶揄されることもあった。
2年生4番・田村龍弘は「大阪人やって言われますけど、今は青森に住んでいるんで、青森人やと思っています。青森県民と同じ意識で戦っている」と力強く宣言し、川上も「青森の厳しい寒さで、(大阪出身の)自分たちは強くなった。あの冬の厳しさを乗り越えたから、今年の夏、戦えているのだと思っています」と堂々と語っていた。
光星学院は外野の様々な雑音を一掃し、一心不乱に勝利を目指して戦うことを貫き、決勝の舞台へとあがったのだ。
決勝戦は0-11の大敗。
東北勢初の優勝、被災地東北に明るいニュースを届けることが第一の恩返しと考えていたならば、この大敗がナインに与える影響は計り知れなかっただろう。