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野球ができる喜びを
体現していた花巻東。
~甲子園で見せた“全力疾走”~ 

text by

小関順二

小関順二Junji Koseki

PROFILE

photograph byNIKKAN SPORTS

posted2011/08/23 06:00

7対8で敗れたものの、花巻東は全力疾走と諦めない心で3度追いつく驚異の粘りを見せた

7対8で敗れたものの、花巻東は全力疾走と諦めない心で3度追いつく驚異の粘りを見せた

 ベースボールを「野球」と訳したのは、明治時代中期に黄金時代を誇った第一高等中学校、のちの一高の二塁手・中馬(ちゅうまん)庚(かなえ)である。中馬の出身地、鹿児島市が作成したパンフレットには「野球」という訳を考えた瞬間の中馬が生き生きと紹介されている。

「よい訳を見つけたぞ! Ball in the field 野球はどうだ」

「Ball in the field」は、直訳すれば「原っぱでボール遊び」とでもいうのだろうか、まさに言い得て妙の訳語だ。

 学生野球の育ての親である中馬は、大阪府豊中市で逝去した。彼の墓が同市内の円満寺にあることから、甲子園期間中、近くのホテルを宿舎にする北海道の高校が中馬の墓参りをする習慣がある。今年も北北海道代表の白樺学園が訪れている。

 春の訪れが遅く、夏が駆け足で通り過ぎる北海道からやってくるチームこそ、「原っぱでボール遊び」を体現していると思っていたが、今年は地震と津波で壊滅的被害をこうむった東北勢が、野球をできる喜びをかみしめているようだった。

優勝候補の帝京に対し、“全力疾走”で臨んだ花巻東。

 初日の第3試合には早くも福島・聖光学院が出場。日南学園との延長戦を制し、5対4で勝ち名乗りを挙げた。

 2日目の第3試合では岩手・花巻東が帝京と死闘の末惜敗した。3日目の第2試合では宮城・古川工が敗退はしたものの、大会屈指の剛腕・北方悠誠(唐津商)を終盤、あわやの展開まで追い詰めた。

 甚大な被害を受け、沿岸部に今も瓦礫の山が残る3県代表の戦いぶりは被災者だけでなく、応援する観客の胸を熱くしたが、特に胸を打ったのが花巻東だった。

 優勝候補の帝京に対して上回れる要素は何なのか、選手たちは必死に考えたはずである。そして彼らは戦術として“全力疾走”を採用した。

 打者走者としての一塁到達5秒以上、二塁到達9秒以上、三塁到達13秒以上のアンチ全力疾走は実に0人。これは毎年、2、3校しか達成しない。反対に一塁到達4.3秒未満、二塁到達8.3秒未満、三塁到達12.3秒未満の全力疾走のタイムをクリアしたのが5人・9回を数えた。

 中馬庚が「野球」の2文字に托したのは「喜び」と「ひたむき」の精神に他ならない。そして、花巻東のナインはこの夏、野球ができる喜びを甲子園という最高の舞台で表現した。

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