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K-1の“常識”に挑み続けた、
軽量級キックボクサーの石川直生。 

text by

橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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photograph byTakao Masaki

posted2009/12/30 08:00

K-1の“常識”に挑み続けた、軽量級キックボクサーの石川直生。<Number Web> photograph by Takao Masaki

2009年はKrushライト級GPで数々の名勝負を繰り広げてきた石川。2010年には60kgと70kgの逆転現象を起こし、大晦日の舞台に再び挑戦していく

 2009年、格闘技界で目覚ましい活躍をした選手は数多いが、中でも最もチャレンジャブルだったのはキックボクサーの石川直生だ。彼はジャンルの常識に挑み、そのために苦しみながら、ファンの心を掴んでいったのである。

 1月4日、ムエタイの強豪スアフワンレック・シービューガーデンに飛びヒザ蹴りからのパンチ連打でKO勝利を収めた石川は、「大晦日の舞台に立ちたい」と宣言する。だがこれは「K-1に出たい」という意味ではなかった。単に有名になりたいのではなく、「軽量級のキックボクシングを世に出す」ことが目標なのだ。そのためにはヒジ打ち禁止、ヒザ蹴りの回数も制限されるK-1ではなく、総合格闘技の試合も混在する『Dynamite!!』で特例的にキックボクシングの試合をする必要があった。

 一般的な知名度においては、立ち技格闘技イコールK-1と言っていい。しかしK-1はヘビー級とミドル級(70kg)が中心で、軽量級(ライト級=60kg)は添え物扱い。石川のようなヒジ・ヒザを主体とする選手は「K-1向きじゃない」と、あたかも“メジャー失格”であるかのように評価されることが多い。K-1出場のため増量し、ファイトスタイルを変える選手も少なくなかった。つまり、軽量級のキックボクシングを“マニアの楽しみ”に押し込めてしまうような常識に、石川は反旗を翻したのである。

“前例なき闘い”への険しい道。

 大晦日の大舞台でキックボクシングを見せる。

 まったく前例のない試合を行なうための道のりは、予想以上に険しかった。所属する全日本キックボクシング連盟では、K-1ルールを採用した『Krush』がドル箱シリーズとなっていたのだ。石川も“本分”であるキックルールの試合に集中できる状況ではなかった。3月、5月と『Krush』に出場し、結果は1勝1敗。ヒジ・ヒザを得意とする石川にとっては不利な闘いだったが、団体を支えることもチャンピオンである石川の役目だった。

 6月の全日本スーパーフェザー級王座防衛戦をドローで終えると、さらに困難が待ち構えていた。全日本キックがトラブルによって解散となり、石川の闘う場は単独イベントとして存続した『Krush』しかなくなったのだ。7月からは16名参加のトーナメント『Krushライト級GP』が開催されることになった。ここで石川は、目標をさらに大きなものに変える。曰く「キックもK-1も、軽量級は自分が引っ張る」。

3試合連続KO勝ちでK-1ルールの壁を打ち破った石川。

 もちろん、K-1ルールでの石川の評価は決して高いものではなかった。パンチを得意とする“K-1向き”の選手が集うKrush GPでは、間違いなく勝てると言いきれる相手はいないと言ってよかった。だが、石川はこのGPで“ルールの壁”という常識を突破してみせる。

 1回戦ではダウンを奪われながら、試合終了直前にハイキックでKO勝ち。

 2回戦もダウン直後にハイキックを決めて逆転勝利を収める。

 「どうしてああなったのか、自分でも分からない。ただ、不思議と“ハイキックが当たる”っていう確信があったんです」という神がかりの逆転劇だった。

 さらに準決勝では、パンチの連打で出血した直後に右ハイキックと左の飛びヒザという圧巻の連続攻撃で“狂拳”竹内裕二をノックアウトする。決勝戦こそ出血によるドクターストップで棄権することになったが、石川はK-1ルールでも勝てることを証明し、さらに優勝者よりも強いインパクトを残した。実力者が揃うトーナメントで、3試合連続KO勝ちしたのは石川だけだったのである。

【次ページ】 神がかりの勝利が“メジャー”を振り向かせた。

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石川直生

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