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川崎F・稲本潤一は欧州帰りの
ジンクスを打ち破れるか? 

text by

木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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photograph byGo Yanagawa

posted2010/01/18 10:30

川崎F・稲本潤一は欧州帰りのジンクスを打ち破れるか?<Number Web> photograph by Go Yanagawa

アーセナル、ガラタサライ、フランクフルトなど、9年間で7クラブ(5つのリーグ)を渡り歩いた稲本。その経験をJリーグで生かせるか?

 Jリーグの話題性という意味でも、日本代表の強化という意味でも、稲本潤一のJリーグ復帰はポジティブなニュースだった。不景気のあおりを受けて多くのクラブが資金繰りに苦しむ中、あえてリスクを冒して“投資”をした川崎フロンターレの勇気と野心に拍手を送りたい。

 ただし、ヨーロッパのサッカー文化にどっぷり染まった日本人選手が、復帰後にJリーグで苦しむケースが多いのは確かだ。高原直泰、柳沢敦、鈴木隆行らは、凱旋後に期待されたほどの輝きを放てず、次第に代表からフェードアウトしてしまった。

 数少ない成功例は、広島にファーストステージ優勝をもたらした風間八宏氏(現筑波大学監督)だろう。小笠原満男もここに入れたいところだが、彼の場合はセリエA在籍が1年のみで、さらに出番も少なく、欧州スタイルに染まり切る前に帰国しているので除外した。

体重を微調整してJリーグ仕様の体を取り戻すことが肝要。

 欧州から戻った選手が、「こんなはずじゃなかった」とならないためには、どうすればいいのだろうか? 2つの鍵があると、筆者は考えている。

 1つ目は、体をJリーグ仕様に戻すことだ。

 1月6日のイエメン戦の試合後、ハットトリックを達成した平山相太に「オランダ時代と何が変わったか?」と質問をぶつけてみた。平山は、よどみなく即答した。

「体が軽くなって、日本のサッカーに合うようになってきたと思います」

 平山は2005年から約1年間オランダのヘラクレス・アルメロでプレーし、初年度はチーム最多の8得点をあげ、誰もが認めるエースだった。だが、2006年9月にFC東京に移籍してからは、長い低迷期に突入してしまう。私生活の乱れも影響したかもしれないが、日欧のサッカーの違いが最も高い壁になったに違いない。それでも約3年の苦闘の末、Jリーグに適応できたのは「体を軽くした」からだった。

 もちろん体重を2kgも3kgも減らす必要はない。俊敏な選手が多いJリーグの、良く言えばダイナミカル、悪く言えば慌しい展開に慣れるために、フィジカルを微修正しておく必要があるということだ。

【次ページ】 欧州帰りだからといって個人プレーにこだわる必要はない。

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