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バイエルンvs.ヴォルフスブルク。
クラブ幹部として実の兄弟が競い合う!?
 

text by

ミムラユウスケ

ミムラユウスケYusuke Mimura

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photograph byUniphoto Press

posted2010/02/07 08:00

バイエルンvs.ヴォルフスブルク。クラブ幹部として実の兄弟が競い合う!?<Number Web> photograph by Uniphoto Press

ブンデスを代表するクラブを率いるヘーネス兄弟。選手としてだけでなく、GMとして君臨する兄弟は、サッカー界広しといえども、そう多くはない

エリート街道を歩んだ兄と、地味なキャリアに甘んじた弟。

 二人の環境に大きな違いが生じてくるのは、兄ウリが17歳、弟ディーター16歳のとき。兄がバイエルンでプロとしてのキャリアを始めることになってからだ。一方、ディーターは、VfBシュツットガルトなどでもプレーするが、バイエルンのユニフォームに袖を通すことが出来たのは26歳のときだ。

 ヘーネス兄弟は年子で、誕生日は1年と2日しか違わない。だが、バイエルンに加入するのも、ドイツ代表に選ばれるのも、GMとして第2の人生をスタートするのも、弟は兄よりも大きく遅れをとることになる。

 また、ブンデスリーガ、チャンピオンズカップ、ワールドカップ、欧州選手権のタイトルを兄が手にしたのに対し、弟はブンデスリーガのタイトルを手にしただけである。

一命を取り留めた墜落事故で兄の人生は大きく変わった。

 ドイツサッカーの歴史の中でも輝かしいキャリアを持つ兄と、兄には見劣りするキャリアを持つ弟。となると、エリートコースをかけぬけた兄はスノッブで、やや地味な道を歩んできた弟が人間味のある人物かと思うのだが、実際はそうではないらしい。

 右ひざの負傷が原因となり、27歳で現役を引退すると同時にバイエルンのGMに就任した兄は、33歳のときにある事故にあった。友人3人とともに乗っていた小型のプロペラ機が墜落。幸運なことに彼自身は一命を取り留めたのだが、残りの3人は帰らぬ人となった。これを機に、彼の考え方も生き方も大きく変わったのだという。

「あの事件で大きく変わったんだ。親からもらった50マルクを持って、私はミュンヘンにやってきた。ところが、今はこうして恵まれている。サッカーのおかげでね。だから、今度は社会に対してお返しをするべきだと考えるようになった」

 1999年にはコソボ難民に対して、私財から700万円あまりを寄付した。アルコール依存症を患っていたかつての同僚ゲルト・ミューラーに下部組織のコーチの座を与えたり、うつ病にかかり現役を引退したセバスチャン・ダイスラーがフィジオセラピストとして第2の人生を歩み始める手助けをした。やり手のビジネスマンとはかけはなれた、温かい人間としての魅力が伝えられている。

【次ページ】 兄の口利きでヴォルフスブルクのGM職を得た弟。

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