「当たり屋に付け」という格言が相場の世界にある。「曲がり屋に向かえ」という格言も相場の世界にある。どちらもわかりやすい格言だが、実際に相場を張ってみると、リアリティが感じられるのは後者のほうだ。
いいかえれば、「当たり屋」はめったにいないが、「曲がり屋」はかなりの確率で出てくる。曲がり屋とは「買えば下がる、売れば上がる」の判断ミスを繰り返す人のことで、実をいうと相場の世界ではこちらが多数派を占める。けっこういるでしょう、そんな人。だからこそ、儲かる人があんなに少ない。
逆にいおう。曲がり屋の数が多ければ、反面教師にできる頻度も高くなる。あ、あそこでまた間違えているな、では逆をやってみようというわけで、これは相場に限らずカジノなどでも使える黄金律だ。ただし、よけいな感情論は封殺しなければならない。
いつまでたっても岡田武史を解任しない日本サッカー協会を見ているうち、私はそんな格言を思い出してしまった。
この期に及んで、協会が言う「リスク」の意味が分からない。
東アジア選手権の韓国戦で1対3と惨敗したあと、日本サッカー協会の犬飼基昭会長は「岡田続投」を明言した。理由は、「いま監督を替えるのはリスクが大きい」というものだ。私は本気で失望した。「リスク」とはなんだ。この期に及んで、日本代表に「リスク」などあるのだろうか。あるとしたら「ワールドカップで惨敗するリスク」や「赤っ恥をかくリスク」だけだろうが、そんなリスクなら、いまのままでも十分に大きい。
これは衆目の一致するところだろうが、現在の日本代表は弱い。弱いだけでなく、ものすごくつまらないサッカーをしている。耳にタコができるほど聞かされてきた「決定力不足」どころか、「想像力不足」「戦闘力不足」といった身も蓋もない言葉まで、思わず口走ってしまいそうだ。そうでなければ、いくら「欧州組」が不在であるにせよ、ベネズエラと中国に0対0、韓国に1対3などという試合を続けられるわけがない。そもそも、岡田武史が監督になってから、私は身体の熱くなる試合を一度も見ていない。
「曲がり屋には曲がり屋が見えない」という膠着状態。
それどころか、日本代表のサッカーは確実に衰退している。最大の曲がり屋は日本サッカー協会そのものだ、と私は思う。誤解を恐れずにいうなら、彼らはトルシエを嫌い、ジーコを責めず、オシムを煙たがった。ジーコと岡田が曲がり屋であることにうすうすは気づきつつも、その曲がり屋に向かおうとしなかった。曲がり屋に曲がり屋は見えないからだ。むしろ彼らは、口やかましいトルシエや辛辣なオシムに白い眼を向けた。
理由はいくつも思いつくが、要はジーコや岡田なら、協会がコントロールしやすかったのだろう。邪推だろうか。揣摩臆測が過ぎるだろうか。
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筆者プロフィール
芝山幹郎
1948年金沢生まれ。東京大学仏文科卒。評論家・翻訳家。著書に『大リーグ二階席』『アメリカ野球主義』『映画は待ってくれる』『映画一日一本』『アメリカ映画風雲録』などがある。訳書はジョージ・F・ウィル『野球術』、スティーヴン・キング『ニードフル・シングス』『不眠症』など多数。「イチローとモウリーニョはいつまでも見飽きない」そうだ。新刊は、ロバート・ホワイティングとのロング対談『新・イチロー伝説』(ベースボール・マガジン新書)。































