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愛すべきドラゴンは今……。 

text by

丸井乙生

丸井乙生Itsuki Marui

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photograph byTadahiko Shimazaki

posted2006/04/11 00:00

愛すべきドラゴンは今……。<Number Web> photograph by Tadahiko Shimazaki

 ちょっと奥さん、聞きました?あの老舗がいろいろ大変らしいわよ。まあ、もともと人の入れ替わりが激しいところだったから。経営が危なくて、身売りしたそうよ。やっぱりビンタしてるだけじゃダメなのね。怖いわねえ、うちの旦那のとこも大丈夫かしら。

 井戸端会議でプロレスを語る奥様方がいたとして。昨秋から今春までの半年間、プロレス界は老舗・新日本プロレスが危機に瀕する噂で持ちきりだった。1972年にアントニオ猪木が旗揚げして以来、選手の離脱、復帰劇を繰り返しながらも暖簾を守ってきた。しかし、昨秋からというもの事態は深刻だ。猪木にケンカを売って電撃退団したはずの長州力が現場最高責任者として戻ってきたかと思えば、ゲームソフト制作会社「ユークス」に株式を売却して子会社化され、今年1月には、年俸を大幅抑制された選手が大量退団するなど激震に襲われた。

 噂が噂を呼ぶ渦中で、忘れられてしまった主要人物がいる。藤波辰爾。通称・ドラゴンである。'70年代は精悍なジュニア戦士として名を馳せ、ヘビー級転向後も数々のタイトルを獲得。アントニオ猪木に次ぐ大スターだった。仮にも、かつて代表取締役社長を務めた人物だ。それなのに、お家の一大事に沈黙を守り、井戸端会議の俎上にも載らない。あまりに寂しいではないか。

 太陽のような人である。駆け出しの記者にも分け隔てなく接し、顔のパーツすべてを細める満面の笑みはかなりの癒し系。本日はお人柄も良く、リング上では生き生きと動く。しかし、机の前に座ると別人28号だった。代表取締役社長時代に記者から大会の方針、団体の方向性について尋ねられ、親切心が高じて熱弁をふるっているうちに午前中と夕方で内容が180度変わり、周囲を大混乱に陥れたことは一度や二度ではない。朝令暮改という四字熟語を身をもって教えてくれた。あまりの暮改っぷりに、部下から「社長は取材に答えないで下さい」と下克上箝口令が敷かれたが、進入禁止になった社長室という無菌室にいる間に社内事情が大きく変動。社長はある日、スポーツ新聞を読んで「うちの会社はこんなことになっていたのか!」と叫んだという。あらら。

 朝令暮改は自らの進退にも及ぶ。引退を示唆するたびに覆す性癖があり、関係者、ファンともに「引退カウントダウン」の中止はすっかり慣れっこになってしまった。いまさら引退宣言を出したところで「オオカミが来たぞ」ってなもんで、周囲から「引退カウントアップ」と呼ばれていることを本人は知らない。

 知らないから、成し遂げたこともある。'85年に歌手として「マッチョ・ドラゴン」をリリース。これが凄かった。昨年8月の総当たりリーグ戦「G1」で、へそ曲がりのケンドー・カシンと対戦した際、カシンは自身の入場曲のイントロに「マッチョ・ドラゴン」を挿入。20年の時を経て、ドラゴン熱唱の名曲を復活させた。照明を落とした暗闇に、音程微妙のダミ声が響き渡る。プロレス界で最も権威のある真夏の祭典は「ジャイアン・リサイタル」と化した。

 そんなドラゴンが最近で公の場に出席したのは、年明けに新日本プロレスがサッカーの横浜F・マリノスと業務提携を結んだ会見だった。ファンサービスについて相互協力を得る旨が発表された上で、意気揚々と語り出した。横浜所属の日本代表・久保竜彦との「ドラゴンつながり」に目を細めると、ファンサービス内容は置いといて、共通点である持病・椎間板ヘルニアについて「相談に乗ってあげたい」と話した。ドラゴンは久方ぶりの晴れ舞台で生き生きしていたが、その直後、久保は腰痛が再発。相談に乗ってあげて下さい。

 新日本プロレスは4月下旬、株主総会を開催する。代表取締役からヒラ取締役に降格しているドラゴンも出席する。一連のお家騒動に沈黙してきた理由が明かされるという情報も。朝令暮改が許されない株主総会で、ドラゴンが52歳の決意を表明するかもしれないという。誰か相談に乗ってあげて下さい。

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