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【ドリーム・チーム史上最大の挑戦】 ドリームチームの面目を保った銅メダル。 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph byTsutomu Kishimoto/PHOTO KISHIMOTO

posted2004/08/26 00:00

【ドリーム・チーム史上最大の挑戦】 ドリームチームの面目を保った銅メダル。<Number Web> photograph by Tsutomu Kishimoto/PHOTO KISHIMOTO

 日本がカナダに圧勝、有終の銅メダル獲得で五輪を締めた。アテネ五輪野球の日本代表は25日、エリニコ・オリンピック・コンプレックスでカナダとの3位決定戦を戦った。1回に城島の2ランで先制した日本はその後も着実に追加点を挙げて10安打で11得点をマーク。投げても先発の和田が5回を4安打2点に抑えると、黒田、小林と必勝リレーでカナダの反撃を封じ込んだ。勝った日本は銅メダルながらアトランタ五輪で銀メダルを獲得して以来2大会ぶりのメダル獲得となった。

 泣いていた。こみ上げるものを抑えられず宮本の目からは涙があふれた。城島も目元を押さえ、高橋も潤んだ瞳を右手でぬぐった。長かった戦いの結果は求め続けて金メダルではなかった。それでもプロとしての意地を見せ続けることだけを誓った戦いが終った瞬間に、男たちは泣かずにはいられなかった。 

 「きょうは君たちの価値が試される戦いだ」宿舎出発前のミーティング。中畑ヘッドの声に全員がうなずいた。

 その檄にナインがフィールドで答える。1回2死一塁。カウント1―0から甘く入ってきたストレートを城島は見逃さなかった。思い切り振りぬいたバットから渇いた音が響く。打球はきれいな放物線を描いて左中間のフェンスを越えていった。4回には三塁線を破るタイムリー二塁打、8回にも1死一、二塁から右中間に適時に塁打と金メダルを逃した鬱憤をはらすような3安打4打点の大爆発だった。主砲のバットに引っ張られるように打線は3回には5番に昇格した和田の適時打、初先発の木村のタイムリーなどで4点を追加。8回にも木村の二塁打から福留の適時打、城島に続いて和田の二塁打と合計4点。あわせて11点の大爆発で日本の底力を見せつけた。

 投手陣も先発の和田が4回に1点。5回にウエアのソロで2点目を失うと6回には黒田、9回には小林を投入する早めのリレーでカナダ打線の反撃を封じ込んだ。24人の日本のプロ野球選手たちがそれぞれの価値を存分に見せて有終の美を飾った。その結果として手に入れたのが赤銅色に輝くブロンズメダルだった。

 「選手たちは長嶋監督が野球の伝道師になってくれといっていたその姿を見せてくれた。ただの1試合も恥じるようなゲームはなかった。手にしたメダルは銅メダルだったが、金メダルの価値のある銅メダルだった。選手は胸を張って帰って欲しい」中畑ヘッドコーチは目を真っ赤にしながら語った。9戦全勝での金メダル、という重い十字架を背負って乗り込んだアテネ。だが、予想以上に各国の力は接近していた。「常に紙一重の戦い。でも、このチームだから2つしか負けなかったといもいえる」と同ヘッドは胸を張った。

 初めてプロ野球の選手だけで構成したドリームチーム。だが、その象徴的な存在だった長嶋茂雄監督が思わぬアクシデントで倒れた。将不在―。求心力を失いかけた集団は、だが、中畑ヘッド、宮本主将を中心にチームとして結束していった。「最高のチームだったと思っています」大会期間中に選手だけのミーティングを何度も行い意思疎通を図った。言いたいことを言い合い、自分のためではなく、チームのため、日の丸のためにすべてを出し切って9つの試合を戦い抜いたという自負がある。

 「今大会、私の中には金メダル以上のものがいくつかあります。キューバに勝ち、日本プロ野球のレベルの高さを世界に示したこと。チームの壁を乗り越えて本当に一つにまとまってくれたこと。そして1番は、諸君たちが得たものです。これは誰もが得られるものではありません。諸君たちは今回、アテネで得たものを決して忘れてはなりません」ミスターが寄せたコメントだった。

 “野球界の伝道師”―それは常に最高の結末だけを伝えるものではない。負けてもなお、負けたからこそ伝えられる姿がある。アテネ五輪野球の日本代表が見せてくれた9試合は、野球というスポーツのスリリングでダイナミックな楽しさとそれをプレーする喜びを、改めて認識させてくれた戦いだった。

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