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ホンダ名物ディレクターの退任。 

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西山平夫

西山平夫Hirao Nishiyama

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photograph byMamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

posted2008/12/01 00:00

ホンダ名物ディレクターの退任。<Number Web> photograph by Mamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

 11月24日、ツインリンクもてぎで開かれた「Honda Racing THANKS DAY」において、ホンダF1スタッフの現地日本人代表格だった中本修平HRF1デピュティマネージングディレクターの異動が発表され、12月1日付でホンダ朝霞研究所2輪開発センターMSD室長兼HRC副社長に転任することとなった。

 中本エンジニアは元々2輪畑(HRC)出身で、2000年5月からホンダ栃木研究所のモータースポーツ部に異動。すぐにイギリスのF1前線基地HRDに所属し、エンジンテストチームのリーダーを振り出しにおよそ8年半にわたってホンダのF1活動を支えてきた。

 「F1を9年間やって、2006年ハンガリーのたった1勝しかできなかった。チャンピオンを獲りたかったので悔いが残るし、若干複雑な思いもあるが、ロス・ブラウンを中心に“戦う集団”になりつつあるので、2輪の世界に戻っての新たなチャレンジを楽しみにしている」と、第一声。

 中本エンジニアが言うように、今年からHRF1代表にロス・ブラウンを迎えて内部組織改革を行ない、1年をかけて体制が確立されたことが今回の異動につながったようだ。

 「今年1年かけて、ロスが『右向け!』と号令をかければイギリスも日本も右を向く戦う組織にでき、私の役割は終わった。チームはロス中心に発展していて、来年に向けていい感触があるから、成績もそれなりに期待できる。異動にはいい時期だと思う」とも語った。

 では、中本エンジニアが務めたデピュティマネージングディレクターというポストが残るのか、残るとしたら誰が就任するのかについては、「後任については決まっていない。仮に日本人がいなくても組織が転がるようにはしてきたが、個人的には誰か(ロス・ブラウンを補佐する日本人)がいたほうがいいと思う。やはり日本とヨーロッパとの6000マイルのギャップは大きい。フェイス・トゥ・フェイスが大事」と、希望を述べている。

 レースでの最高の思い出は「タナボタの勝ちだったけど、2006年のハンガリー(ジェンソン・バトン)。2004年アメリカの琢磨の表彰台(3位)もよかったけど、セーフティカーが出なければもっと上に行けたと思うと残念でもある」と2レースを挙げつつ、「レースでいちばんつらいのは結果が出ないこと。実力でねじ伏せて勝った1勝がなかったのがつらかった」とも言う。

 中本エンジニアは今後2輪の活動に復帰するが「F1から2輪に持っていける技術もあるし、逆に2輪の部品がF1に使えることもある。2輪に関してはロス・ブラウンも興味を持っている。2輪はエンジンのドライバビリティがすごく大事で、これを重視して開発することになると思う」と、早くも新しい職場に気持ちを向かわせていた。

 2輪開発センターでの中本エンジニアはMotoGP、スーパーバイクなど2輪レース活動のすべてを見る立場になる。ホンダF1の名物ディレクターだった辣腕エンジニアの2輪フィールドでの活躍に注目したい。

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