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From:デュッセルドルフ(ドイツ)「僕の中毒症状はピークに」 

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杉山茂樹

杉山茂樹Shigeki Sugiyama

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photograph byShigeki Sugiyama

posted2005/03/18 00:00

From:デュッセルドルフ(ドイツ)「僕の中毒症状はピークに」<Number Web> photograph by Shigeki Sugiyama

バルサとチェルシー、それにリバプール、

帰ってきたらW杯予選だ。筋金入りの

観戦中毒者には堪らない日々が続いている。

 それにしても目立ったのは「彼ら」だ。彼らとは、前号にも登場した日本人の欧州サッカー観戦旅行者のことだが、チェルシー対バルセロナの2nd.legが行われた「スタンフォード・ブリッジ」の現場で、僕は少なくとも200人のツアー客を目撃した。個人旅行で来ている人も同じぐらいいるはずなので、その数は併せて400人近くに達していただろう。スタジアムの定員は40000人なので、100人に一人は日本人だったということになる。

 日本人はチケットを定価でゲットすることが難しいので、恐ろしい金額を払うことになる。対戦カードの良さが輪を掛けた今回の場合は、85000円〜100000円もした。W杯の決勝、五輪の開閉開式に比肩する値段である。それでも400人の日本人がスタンフォード・ブリッジを訪れた。彼らは本当に馬鹿だ!いや失礼、偉い!!

 試合は逆転、逆転、逆転の名勝負。リードされている側がもし次のゴールを決めれば、イーブンの状態を経ずに即逆転となる。チェルシー対バルサは、アウェーゴールルールが、絶妙な隠し味になっていた。日本では絶対に味わえないテイストなので、彼らがどれほどビビッドに反応できたか、いささか心配になるが、ほとんどの人が「現地でまたこんな体験をしてみたい」と、すっかり中毒症状を露わに帰国の途に着いたと思われる。

 何を隠そう、僕にはその代表選手だという自負がある。学生時代、初めて観戦に出かけたスペインW杯で中毒に陥った。何が何でも4年に一度のW杯が見たい。そのためにはどうすべきか。強い症状に悩まされながら、人生を考えるに至ってしまった。その結果が現在の姿だ。しかし、中毒はさらに深刻化していく。'82年、'86年、'90年。この頃までの症状は、いま振り返れば軽かった。深刻化した原因は、以後、'94年までに、チャンピオンズリーグというもうひとつの魔物に出合ったことにある。

 観戦試合数はすでに200試合を超えてしまっている。現地観戦をお休みするのは、1シーズンで一度か二度。皆勤したシーズンも何度かある。4年に一度で済ましておけば、今頃は別の人生が開けていただろうなと思う今日この頃だが、チェルシー対バルサ戦などを見てしまうと、そのスタンドに座っている自分に大正解と100パーセント満足せずにはいられない。

 翌日、彼らの大半は、アーセナル対バイエルンが行われる「ハイバリー」へ向かった。ロンドンで続けて2試合見た方が、効率的であることは確かだ。この火曜日、水曜日にはミラノ(ミラン対マンU)→トリノ(ユーヴェ対マドリー)のイタリアシリーズにもツアーが組まれていて、同じように何百人もの日本人が参加したと聞く。

 僕も当初、この2nd.legは、ロンドンシリーズで迫るつもりでいた。しかし、前回号で記したように1st.legで観戦したアーセナルに、もはや可能性はないと判断。水曜日の朝、ヒースロー空港からデュッセルドルフを目指すことにした。もちろんトリノへ、ユーヴェ対ミランを見に行くという手もあった。しかし、ズラタン・イブラヒモビッチも良いけれど、ベニーテスのリバプールも素晴らしいというわけで、結局、デュッセルから電車で約40分の距離にある、レバークーゼンの「バイ・アレーナ」を選択した。

 日本人のツアー客の姿はさすがに、見かけなかった。日本人の報道陣も、僕の他に1人しかいなかった。日本人だらけだったロンドンから、日本人がほとんどいないレバークーゼンへという、ナイスなバランス感覚にも自己満足できたし、ベニーテス・リバプールもダークホースに相応しい期待通りのプレイを見せてくれたし、バルサが消えてしまった落胆などどこへやら。すっかりチャンネルは切り替わっていた。

 4年に一度のホテル探しも、抜かりなかった。来年6月W杯本大会も視野に入れつつのドイツ訪問だった。これからは、チャンピオンズリーグとW杯が交錯する時期を迎える。帰国後、わずかの間をおいてテヘラン行きが待ち構える。それから日本にとんぼ返りしてバーレーン戦。そして再び欧州。チャンピオンズリーグの準々決勝だ。中毒症状はいまピークを迎えようとしている。面白すぎて、堪らない。

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