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宿命の戦いの「意味と意義」 

text by

石塚隆

石塚隆Takashi Ishizuka

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photograph bySusumu Nagao

posted2008/11/17 00:00

宿命の戦いの「意味と意義」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

 さて、いよいよ寒さも厳しくなってきて冬本番を迎えようとしているわけだが、格闘技にとってこの時期は、大みそかの大一番に向け何かと賑やかになる季節でもある。石井慧ぐらいしか明るい話題のない格闘技界だけど、今年も幸い大みそかには『Dynamite!!』が、さいたまスーパーアリーナで開催される。

 先日、その第1弾カードが発表されたわけだが、中でもとりわけ目を引いたのが桜庭和志VS.田村潔司の一戦である。

 今をときめく対戦では、決してない。

 しかも両者とも40前のオジサンである。

 だが、この二人の対戦には何ともいえない味わいがある。まるで長年寝かしたワインの芳醇さのように、深みと奥行きのあるカードなのだ。この二人の確執について思いを馳せているオールドファンもきっといることだろう。

 では、二人の関係性を簡単にひも解いておこう。同じ69年生まれの両者ではあるが、選手としてのキャリアは田村のほうが長く、UWFインターナショナルでは桜庭が後輩だった。若き日の二人は、現在とは違うルールだがよく対戦しており、ほとんど田村が勝利を飾っていた。

 そして96年、田村はリングスへ主戦場を移し、桜庭はUインターの解散もあり、キングダムからPRIDEへ。お互い違う道を歩むことになり、この地点で両者を結ぶ接点は消えた。

 さらに時を経た02年になると、田村がPRIDEに参戦するようになる。両雄は再び接近。桜庭は確執が騒がれていた田村に対し再三の対戦要求をするが、なぜか田村は対戦を固辞し今日にまで至っていた。つまり、実現できそうで出来なかった“幻のカード”だったというわけだ。PRIDE全盛時には、両者が対戦したらどうなるのか散々話題となり騒がれたものが、最近では両者とも年齢を重ね“もうないだろう”といった空気が漂っており、桜庭VS.ヒクソン・グレイシー同様、日の目を見ることのない対戦かと思われていた。昨年の4月、PRIDE.34で両者はリングに上がり対戦の約束をしていたが、時はいたずらに経過していた。

 そして急転直下、このタイミングである。唐突のように思えるが、実に田村らしい間の取り方のような気がしてならない。

 以前、筆者が田村に「桜庭選手との対戦は今後もうないのでは?」と尋ねたときのことだ。田村は「うーん、時期を逃しましたねえ……」とはぐらかすようなことを言うと、さらにこう続けた。「これはマスコミのせいでもあるんですよ。僕らにも言いたい部分と言えない部分ってあるじゃないですか。そこでマスコミが小出しにしちゃうとダメなんです。試合というのはいきなりポーンと決まるほうが面白くなるし、そうでなければ実現する意味はないと思うんです。期待してくれるのはありがたいけど、汚い言葉で言うと“ほっといてくれ”って感じなんですよ」

 なるほど。二人について中途半端な報道もなく、ほっておいたら対戦が実現した。そのマッチメイクのインパクトは確かに新鮮だ。

 もうすでに選手として晩年に入っている両者が対戦する。同窓会対戦とかロートル対戦と揶揄する人もいるだろう。だがこの一戦には、両者が育ち一世を風靡した“UWF”という系譜の歴史を閉じるべく意味も含まれているのかもしれない。

 田村は、格闘技界における自分の立場についてこんなことを語っていた。

 「僕らの役目というのは、昔ファンだった人たちの心をもう一度掴んで、再び格闘技に目を向けさせることだと思うんです」

 桜庭戦は、そんな田村の想いにうってつけのカードだといえるだろう。

 オジサン二人の熱い大みそか。その背景には、格闘技への愛と歴史が込められている。

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