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WBCと甲子園体質 

text by

芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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photograph byNaoya Sanuki

posted2009/04/01 22:40

WBCと甲子園体質<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

《終点に着きたくない遊園地の乗り物》とLAタイムズは評した。

《歴史に足を踏み入れた決勝》とNYタイムズは見出しをつけた。

《最終章を飾るにふさわしいゲーム》とスポーツ・イラストレイテッドは賛辞を送った。

 WBC決勝の日韓戦は、実に面白いゲームだった。どの国の人が見ても、野球好きであれば、いや、野球にさほど興味のない人であっても、血沸き肉躍らせたにちがいない。

 私も、テレビの前で釘付けになった。数日前からは、LAで生まれ育った友人と連日メールのやりとりを重ねていた。日米対決では私が凱歌をあげ、友人は吠え面をかいた。

「3月からコンディションを上げる習慣がアメリカにはない」と友人は悔しがった。「トーナメント方式に慣れていないせいだ」と負け惜しみも言い立てた。アメリカでのテレビ視聴率が2%にすぎなかったことを思えば、ずいぶん熱心な男だ。それは褒めておいたが、2番目の指摘を読んで私は笑った。なんだ、俺の感じていたことの裏返しじゃないか。

 実をいうと、ラウンド2の対キューバ第2戦あたりから、私の頭のなかでは「あとがないんじゃ、あとが」というあの有名な映画の台詞がこだましつづけていた。

 映画とは、名作『仁義なき戦い』(1973)だ。対立する組の親分暗殺を命じられた主人公の広能昌三(菅原文太)は、謀殺決行の前夜、娼婦を抱く。行為のせわしなさと荒々しさを女が難じると、広能はかの台詞を吐き、いっそう乱暴に腰を振り立てたのだった。

 ついで私が連想したのは「甲子園体質」という言葉である。より正確を期すなら、「甲子園をめざして、あるいは甲子園で戦った高校球児のメンタリティが、こんなところでモノをいうのか」という感慨。

 率直にいうと、近ごろの私は高校野球に冷たい。清沢忠彦(美貌の左腕投手だった)や王貞治や板東英二が活躍した昭和30年代前半には熱心なファンだったのだが、「勝って泣き、負けて泣く甲子園」だの「熱烈な郷土愛」だのといった恥ずかしい言葉が幅を利かせるようになってからというものは、ぱたりと興味を失ってしまったのだ。

 それでも、WBC日本代表には甲子園で戦った選手が少なくない。地区予選で敗れた選手たちにも、少年時代から「あとがないんじゃ、あとが」の体質が身体の奥に刷り込まれている。他国の代表にはこれが乏しい。

 WBCが大詰めに近づくにつれ、その体質が彼らの心身に黒々と浮上してきた、と見る解釈は強引にすぎるだろうか。

 誤解しないでいただきたいが、私は「ブラボー、甲子園」などといっているのではない。野球というスポーツの醍醐味が長丁場にあることももちろん承知している。ただ、短期決戦という「邪道」にスリル満点の楽しみが宿っていることはだれしも否定しがたいはずだ。私がWBC開催に両手を挙げて賛成したのは、脳裡で「サッカーのワールドカップ」と「プレーオフの変型」が重ね焼きされていたからだった。そこにさかのぼって考え直すと、「甲子園体質の活動」には虚をつかれた感が強い。「そうか、WBCは甲子園のグローバリゼーションだったのか」などと寝言をほざくつもりは毛頭ないが、体質とはやはり、人間の理性や意識を裏切る形で暴れはじめるもののようだ。しかし、まさか甲子園がこんな形で浮上するとは……。

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