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2006年 ドイツW杯 グループF VS.ブラジル 

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木ノ原句望

木ノ原句望Kumi Kinohara

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photograph byNaoya Sanuki

posted2006/06/26 00:00

2006年 ドイツW杯 グループF VS.ブラジル<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

 試合終了の笛が鳴り、がっくりと肩を落としてグランドに膝をつき、宙を見つめていたチームメイトが重い足取りで引き上げて行く。だが、MF中田英寿だけは、しばらくドルトムントのウェストファーレンスタジアムのピッチに倒れ込んだまま動かなかった。

 6月22日、日本はドルトムントで行われたワールドカップ(W杯)グループリーグ最終戦でブラジルに4−1で敗れ、ドイツ大会敗退が決まった。

 ブラジルに2点差以上をつけて勝たなければならない日本だったが、「歴代最強のチーム」(パレイラ監督)と自負する世界王者に、世界との差を思い知らされた。

 ジーコ監督は出場停止のDF宮本をDF坪井に、中盤の福西を稲本に、高原と柳沢の2トップを巻と玉田へと、先発メンバーを入れ替えて臨んだ。そして、その玉田が指揮官の期待に応えるように、前半34分に先制ゴールを決めた。稲本がスライディングしながら賢明に出したボールを、DF三都主が左サイドで受けて攻め上がり、相手ディフェンスの動きを見ながら、裏のスペースへ忍び込んだ玉田へ巧みなパスを出す。玉田はそれを受けると、そのまま振り返って鮮やかな一撃をブラジルゴールへ叩き込んだ。

 だが喜びもつかの間、その前後はイヤと言うほどブラジルの猛攻を受けた。GK川口が好セーブで防いだ決定的シュートは前半5本、後半3本。復調の兆しにあるFWロナウドや、期待の若手ロビーニョらが、次々と強烈なシュートを放つ。それはまるで、1996年のアトランタオリンピックの“マイアミの奇跡”と呼ばれた対戦(1−0で日本の勝ち)の再演を見ているかのようだった。

 今回は、しかし、奇跡は起こらなかった。

 ブラジルは速いテンポのパスを確実につなぎ、なおかつ、相手の裏をつくようなプレーを絡めて日本を崩しにかかる。前半終了間際に同点にされた場面もそうだった。中央から攻めていた相手のプレーに日本守備陣が引き寄せられたところで、左サイドのMFロナウジーニョに中央からボールが渡り、その次の瞬間にはバルセロナの世界最優秀選手は大きく逆サイドへ展開のパスを出す。シシーニョがこれを頭で受けて、難なく逆サイドに入ってきたロナウドへつなぐ。ロナウドは対応の遅れたDF中澤と競り合うこともなく、悠々と日本ゴールを割った。

 「ああいうゲームをしたかった」と、ジーコ監督は試合後に悔しそうに話した。

 だが残念ながら、彼が率いた日本代表チームは、そのレベルにはなかった。

 その後1−1で始まった後半も、立ち上がり7分でジュニーニョ・ベルナンブカノに30メートル近い弾丸シュートを決められ、均衡を破る1点を許した。2−1にされると、あとはブラジルの才能とレベルの高さを見せ付けられる一方だった。

 後半、ジーコ監督は状況を打開すべく、巻に代えて高原を投入したが、高原は出場1分で相手との接触で左膝を負傷。すぐにFW大黒と交代せざるを得なくなった。初戦の坪井の試合中の負傷に続いて不運なことだったが、日本選手は、ブラジルのスピードと鮮やかなパスワークの展開に最後までついていけなかった。

 「今日の負けで大会敗退が決まったわけではない。初戦のオーストラリア戦の8分間で決まっていた」とジーコ監督は言った。

 オーストラリア戦では後半84分からたて続けに3失点し、1−0リードを守りきれなかった。その後この日のブラジル戦も、後半の危険な時間帯に不要な失点を繰り返した。

 5月17日にW杯メンバーで福島合宿を始めて以降、けが人や体調不調者が続出したことも、ジーコ監督の仕事を難しくさせたのも事実だ。特にドイツに入ってからは、田中、加地、高原、柳沢、坪井、中村らが大会直前の調整試合などで負傷し、「23人の誰かが常に欠けて練習していた」(ジーコ監督)状態だった。

 だが、指揮官の仕事を最もやりにくくさせたのは、選手レベルのばらつきの大きさではなかったか。体調面の問題もさることながら、特に精神面での大会への選手の認識の甘さは、選手としてW杯3回出場し、常にサッカー王国ブラジルのトップで走り続けてきたジーコ監督には理解しがたいことだったに違いない。

 「W杯に軽い気持ちできた選手もいたかもしれない」と、指揮官に言わしめた状況は、オーストラリア戦での覇気を感じられない選手の試合へのアプローチからも察することができる。

 アジア王者のおごりか、2002年日韓大会でベスト16へ進出できていたことからくる気の緩みか。だが、2002年はホームでの戦い。今回とは違う。

 「1回目の大会(1998年フランス)はどういうものか分からず、2回目はホームだったので、3回目の今回は本当に戦っているという気がしていた」と中田英寿はコメントしたが、その認識を23人の選手全員が持っていなかったとすれば、早々の敗退も当然の報いだろう。W杯はそんなに甘いところではない。

 自分たちのサッカーと呼べるものを見せることなく終えたドイツ大会。試合の組立てでも「ピッチの全ての場所で同じようなプレーをしている」とジーコ監督は指摘したが、今回の大会では技術、体力、精神力の全てにおいて、日本の現状ではアジアレベルから1段上の世界へ進むことができないことを示した。

 今大会の日本の成績は、1分け2敗の勝ち点1で、F組4チーム中最下位で終了。クロアチアとは同じ1分け2敗だが、失点の多さが響いた。グループトップはブラジル(3戦全勝)、続いてオーストラリア(1勝1敗1分け)、クロアチア(1分け2敗)が3位だった。

 ジーコ監督は、「この結果はとてもさびしい。できると信じていただけに……。日本にはいいサッカーが育っているが、W杯は敗退した。まだ成熟していないということだろう。まだまだ改善すべきところがある」と話した。

 大会終了とともに日本代表チームを去る指揮官はそう言って、プロとして自分の欠点を知ること、タフな試合をして、身体的に優れた相手と戦うために身体的強化をすることなどの必要性を指摘した。

 何が足りなかったのか。単に大会結果をみて終わるのではなく、その部分をしっかりと認識しなければ、今大会出場の甲斐はない。

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