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オランダ人がいっぱい。 

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杉山茂樹

杉山茂樹Shigeki Sugiyama

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photograph byPICS UNITED/AFLO

posted2005/12/14 00:00

オランダ人がいっぱい。<Number Web> photograph by PICS UNITED/AFLO

 マルコ・ファンバステン、フース・ヒディンク、レオ・ベーナカー、ディック・アドフォカート。ご存じの通り、2006年ドイツW杯には、オランダ人監督が4人も出場する。調べたわけではないけれど、1つの国の監督が、4つの国の代表監督として采配を振るう例は、W杯史上初の出来事に違いない。

 世の中はいま、攻撃サッカーの時代。その流れの中で迎えるドイツW杯に、当然のことながら、僕は大きな期待を寄せている。そして、4人のオランダ人監督の存在は、まさに時代の象徴で、攻撃サッカーの本家の監督が、重宝がられるのは、当然の帰結なのだ。

 チャンピオンズリーグでも、同様にオランダ人監督は重宝がられている。ライカールト(&テンカーテ助監督)、コ・アドリアンセ、ロナルト・クーマン、ダニー・ブリント、そして豪州代表監督をも兼任するフース・ヒディンク。その数5人。こちらは間違いなく史上初だ、世の中にはいま、攻撃サッカーブームと呼応するように、オランダ人監督ブームが巻き起こっている。

 今季のチャンピオンズリーグでは、その5人の中のうち4人が、グループリーグ突破に成功した。その最終週を迎えて、危険な境遇に曝されていたのは、コ・アドリアンセ(ポルト)とクーマン(ベンフィカ)だった。ともにグループリーグ最下位。勝利以外にベスト16入りの道はなかった。

 クーマンは、そこでマンチェスターUと対戦した。僕はモウリーニョにインタビューした2年前を思い出さずにはいられなかった。時は、決勝トーナメント1回戦が行われる2、3日前。モウリーニョ率いるポルトの対戦相手はマンUで、僕がその抱負について訊ねると、彼はこう答えたのである。「ファーガソン監督は確かに名将だが、そのサッカーに戦術的な穴がないわけではない。私はそこを徹底的に突くつもりだ」。そして彼は、ファーガソンに勝利した。有言実行を果たしたわけだ。

 オランダ人の両監督はどうだったのか。コ・アドリアンセは泣いたものの、マンUと対戦したクーマンは、見事、鮮やかな勝利を収めた。主力を何人か欠いていたというのにだ。2年前のポルトのように、ベンフィカがこのまま勝ち進み、チャンピオンズリーグを制覇するとは思えないが、マンUを下してベスト16へ進出したことで、クーマン株が大きく上昇したことは確かである。

 クーマン、ライカールト、ファンバステンの3人は、オランダが'88年欧州選手権西ドイツ大会を制した時の主力メンバーである。名選手名監督にあらずの格言は、彼らには当てはまらない。先輩のクライフも例外だ。彼らに共通する点は何か。若手監督の3人も、クライフもFIFAから、20世紀最高の監督として表彰された故リナス・ミホルスから、直接指導を受けた経験を持つ。準優勝の'74年W杯西ドイツ大会、優勝した'88年欧州選手権西ドイツ大会ともに監督を務めていたのはミホルスだった。この事実は注目に値する。

 ミホルス同様、攻撃サッカーの発展に寄与したアリゴ・サッキは、氏について僕に「ミホルスが現れる前と後で、サッカーについての考え方は全く別のモノになった。彼の掲げたトータルフットボールは、それほど斬新なスタイルだった」と、語ってくれた。

 その「息子」であるクライフ、「孫」に相当するクーマン、ライカールト、ファンバステンは、まさにその愛弟子に相当する。彼らを含むオランダ人監督が、ドイツ・イヤーである来年に向け、注目すべき存在になっていることに、因果を感じるのは僕だけだろうか。

 モウリーニョは今季の初め、プレミアで注目すべきチームとして「スパーズ」の名を挙げた。そして実際、スパーズはいまプレミアでチャンピオンズリーグ圏内の4位にいる。監督はオランダで年間最優秀監督にも輝いた経験のあるマーティン・ヨルが務める。彼などはオランダ人監督ブームの駄目押し的な存在だ。

 残念ながら、日本はその流れの中にはない。攻撃サッカーという台詞は、盛んに用いられるものの、理屈として、概念としては正確に伝わっていない。気分で使われているのが実情だ。もしあの時、ベンゲルではなくヒディンクが名古屋グランパスの監督に就いていたら、今頃日本は、どうなっていただろうか。あの時とは'94年で、新監督を探していたグランパスは、当初、ヒディンクにアプローチしていた。ベンゲルにひっくり返ったのは、まさに最後の瞬間。もしグランパスの監督にヒディンクが就任していたら……。ベンゲルにケチを付けるわけではないが、その後の影響力について考えた時、ボタンを掛け間違えた気は大いにする。ご存じの通り、ヒディンクはその後、2002年W杯で韓国をベスト4に導き、そして2006年W杯では、豪州の監督として、日本代表と初戦で対戦する。

 バルセロナの助監督、テンカーテに僕は、「日本に来て下さいよ」と、そのインタビューの中で冗談で言ったことがある。すると真顔で彼はこう答えたのだ。

 「俺には、日本に友人がたくさんいる。日本のサッカーにも詳しいつもりだ。俺が日本代表の監督なら、いまのディフェンスシステムを2,3か月で建て直してみせるよ」と胸を張った。「ライカールトとはバルセロナで3年一緒にやると決めたので、いま日本に行くことは無理だけれど……」

 今シーズンはその3年目。来年、テンカーテは新たな契約を結ばない限りフリーの身になる。僕が「キャプテン」なら、間違いなく彼に新監督をお願いするつもりだ。

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