チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER

ピッチまでの距離。 

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杉山茂樹

杉山茂樹Shigeki Sugiyama

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photograph byKiminori Sawada

posted2006/10/25 00:00

ピッチまでの距離。<Number Web> photograph by Kiminori Sawada

 チェルシーのホーム「スタンフォード・ブリッジ」は、対戦する両軍のベンチの直ぐ後ろに記者席が設置されている。ピッチはすぐそこ。タッチラインまで10mあるかないか。まさにリングサイドそのものだ。たとえば、スタジアムの天井付近から、ピッチを俯瞰で眺める「カンプノウ」とは、まさに正反対の関係にある。ピッチが近すぎて、記者的にはかえって見にくい前者に対し、後者の眺望は抜群だ。試合の展開、進行状況は、手に取るように伝わってくる。

 カンプノウで試合を見た4日後に、スタンフォード・ブリッジを訪れると、それぞれの違いは、嫌と言うほどデフォルメされる。サッカーというスポーツは、見る場所、ピッチまでの距離と視角しだいで、見えてくるものがまるで異なるから面白い。

 チェルシー対バルサ戦は、ポジティブに言い換えれば、臨場感というヤツを、たっぷりと堪能することができたわけだ。

 まさに一触即発。ミスの一切許されない緊張感が、フルタイム持続、充満していた。スコアは1−0。彼らはミスをほとんどしなかった。感動のあまり、大袈裟な表現をさせてもらうわけではないが、おそらく試合のレベルは、過去に見た幾多の中で、最も高かったように思う。両軍の対決は、3シーズン連続で、つまりモウリーニョ、ライカールト体制になってから5試合目の対戦になるが、少なくともその中では最高で、従来の最先端の、その先を見た感じだ。ピッチは異常に狭く感じられた。試合の第一の印象はこれ。103m×67mという、規定を若干下回る、その縦横サイズが原因ではない。高い試合のレベルの証に他ならない。

 カンプノウで行われるその折り返しの試合は、来週火曜日に迫っている。俯瞰ではそれがどのように映るか。待ち遠しい限りだが、「リングサイド」に話を戻せば、俯瞰では味わえないド迫力も、そこから手に取るように伝わってきた。

 迫力もまた満点だった。最も印象に残った選手はエッシェンとなる。華やかさはゼロ。しかしながら、豊富な活動量、スピード、瞬発力、馬力、攻守の素早い切り替え、接触プレイでの強さ等々は、これまた従来のサッカー選手像を超越するもので、サイボーグのような合理的なパワーを見せつけた。

 ドログバにも同様の魅力がある。試合の途中、彼は頭を強打し、バックスタンド側のピッチ脇で長い間治療を受けることになった。ピッチに戻っても、ふらふらした状態は続いていて、今度は、記者席側のタッチライン際で再び治療を受けることになった。具合は相当に悪そうだった。KO寸前のボクサーのように目はうつろで、正気は完全に失われている様子だった。一般人なら、即入院。全治まで10日は要するだろう。こりゃダメだ。少なくとも交代必至。そう思って見つめていたのだが、彼は違った。超人的だった。頭から水を何度か掛け、水を何杯かがぶ飲みすると、鋭い形相に一変。再びピッチに戻るや、その数秒後には、猛烈なスピードで相手ボールに襲いかかっていった。これまたサイボーグ。

 ロナウジーニョを完封したモロッコ系のオランダ代表選手、ブーラルースの身体能力にも驚かされたし、バルサではデコの、思わず巧いと膝を叩きたくなる個人技にも改めて驚愕させられた。圧倒的な臨場感の中で見るスーパープレイには、何にも代え難い説得力がある。チャンピオンズリーグの真髄とはこのことだ。

 その前日にグラスゴウで観戦したセルティック対ベンフィカ戦でも「真髄」をたっぷり堪能することができた。この場合は、セルティック・パークの舞台そのものにそれが宿っていた。暴力的というか、喧嘩じみているというか、とにかく過激なのだ。試合前に大合唱がわき起こるユールネヴァーウォークアロンにそれは象徴される。本家「アンフィールド」のそれの方が、はるかに品良く聞こえてくるほどなのだ。一流クラブのスタンドが忘れかけてしまっている古き良き何かが、相変わらずセルティックパークには息づいている。チャンピオンズリーグに出場する喜びが、スタンドの隅々にまで充満している。その前に観戦した、グラスゴーダービーでも、ここまでの熱狂を感じることはできなかった。

 この日の熱さに勝るスタンドを、僕は最近、見たためしがない。実力では劣るのではないかと思われるベンフィカに、セルティックが3ー0の勝利を収めることができた最大の原因だ。スタジアムが、チームを勝利に導いたといっても言い過ぎではない。中村俊輔が活躍できている原因もしかり。もしここで、冴えないプレイを披露すれば……。スタンドの殺気に、彼の背中は後押しされていた。

 いったいどうしたら、あそこまで馬鹿になれるのか。普通じゃない臨場感に立て続けに感激させられると、日本人にはそれが、永遠に共有できない謎のように思えて仕方がない。それが謎である限り、あるいは世界では勝てないかもしれないが、謎の存在が、第三者としてのエンターテインメント性を高めてくれていることも事実。チャンピオンズリーグの現場には、相変わらず幾多の吃驚仰天が溢れているのである。

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