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五輪まであと半年、北京の様子は? 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byTakaomi Matsubara

posted2008/01/29 00:00

五輪まであと半年、北京の様子は?<Number Web> photograph by Takaomi Matsubara

 1月上旬、3日間の旅程で北京を訪ねた。北京は、いや中国自体、訪れるのは初めてである。

 目的は、一昨年末、シンクロナイズドスイミング中国代表ヘッドコーチに就任した井村雅代氏への取材。井村氏の話は、日本と中国のスポーツ環境の違い、就任に至った経緯、1年間指導しての手ごたえなど、非常に興味深い内容であった。こちらはNumber696号でレポートを読んでいただきたい。

 五輪本番も取材予定で、そのために少しでも北京がどんなところなのかを知っておきたいと思っていたので、今回の訪中は好都合であった。

 これまで、夏はアテネ、冬はソルトレイク、トリノの五輪を取材してきたが、北京は、これらの大会にはないところで注目を集めている。大気汚染、食の衛生、凄まじい交通渋滞、大会を取り巻く環境に関してである。

 メディアはときに実像を肥大化させることはある。とはいえ、これだけ多くの報道に接すると、少しばかり不安な気持ちになる。北京へ行くと知人たちに告げると、

 「必ずマスクと喉の薬を持参してください」

 「きちんとしたレストランで食事を」

 といったメールが返ってきた。昨年、プレ五輪に参加した選手や同業者も、「2、3日で喉を痛めた」と言っていた。そんなことが重なって、好奇心の一方で少しばかり憂鬱でもあった。

 成田空港を出発したのは午前9時。中国国際航空機に搭乗。機内は、観光ツアー客を中心にほぼ満席である。

 北京国際空港までは4時間弱のフライト。入国審査を済ませ、遅い便で到着するカメラマンと合流し、タクシーに乗り込む。中心部入り口までは、片側3車線の高速道路が伸びている。スムーズに走り、快適であった。

 だが一般道に降りたとたん、悪名高い渋滞にはまることになった。ともかく車の数が多い。空港から市内の真ん中まで距離にして14、5kmほど、結局約40分かかる羽目になった。

 午後3時、市内でもっとも大きな繁華街、「王府井」(ワンフージン)から歩いて数分のところにある欧州系列のホテルにチェックインする。王府井は、ホテルのフロントいわく、北京の銀座だという。

 ひと息つくまもなく、王府井へ出かける。長さ百数十mの幅広い道は歩行者専用となり、両側には、大きなデパート、ショッピングセンターがそびえる。韓国、日本、中国の地方からの観光客などでにぎわっている。

 五輪の公式グッズを扱うオフィシャルショップがオープンしているのが目に入った。公式キャラクターをあしらったバッグ、タオル、ぬいぐるみ、陶芸品、五輪につきもののピンバッジなどが売られている。ピンバッジは万里の長城や公式キャラクター、天安門などがデザインされた十数種類が売られている。価格は24〜28元(1元が16円だから約400円といったところか)。多くの人が興味深げにのぞきこんでいたが、実際に商品を購入する人は少なかった。

 ショップを出て散策を続ける。ショップを除けば五輪の開催地であることは感じさせない。7カ月前ならそんなものかもしれない。

 あちらこちらに目を配りながら歩いていて、あれ、と気づいた。自分自身の中になんの緊張感もないのだ。これまで取材で行った国々──アメリカやカナダ、イギリス、ドイツ、北欧の国々では、着いた日には多少なりとも緊張を覚えた。それがなかったのである。

 歩行者天国には、PENTAX、富士フィルムなど日本企業の大きな広告看板がやたらと目に付く。そのほかの看板も、飲食店の名前も当然漢字だらけである。そのために日本との距離を感じなかったのかもしれない。

 それはやがて、覆されることになった。

 王府井から、天安門周辺へと進む。記念写真を撮る人々の笑顔を見ていると、かつて広場を戦車が走り抜けたのが嘘のようだ。

 陽が傾き始めると、たちどころに冷気が押し寄せる。札幌あたりにいるのとかわらない感じがする。

 大型クレーンが林立しているのが見える。高層ビルがいくつも建てられているのだ。その姿がぼんやりとかすんでいる。東京もきれいな空ではないけれど、違いは明らかだ。

 夕食はホテルのフロントに紹介された北京で指折りの高級店だという中華レストランへ。

 北京といえば北京ダック。92元(約1500円)で、一羽まるごとである。皮だけでなく肉も食べるところが日本のとは違う。「いやあ、こんなおいしくてボリュームあるの、初めてですよ」というカメラマンの意見に同感だった。

 玉子スープと牛肉と野菜の炒め物、ビールを大ジョッキでそれぞれ一杯頼んで、計260元(約4200円)。

 日本と比べれば格安である。

 異なるのはサービスか。サーブするウエイトレスは席ごとに決まっているわけではないようで、何人かかわるがわる席にやってくる。彼女たちのお客への意識の差が激しいのだ。もちろん笑顔で給仕してくれる人もいるのだが、苦難に耐えているかのような無愛想な顔で皿を出していく女性もいる。

 これは、その他の食堂やショッピングセンターでも同じだった。

 翌日は午前6時に起床、五輪のメインスタジアムへ向かう。本大会へ向けての整備か、道沿いでは多くの場所で工事が行なわれている。ビル建築と合わせて、まるで街を作り変えているかのようだ。

 スタジアムの外観はほぼ完成していた。屋根の上にクレーンが突き出していたから内装はまだなのだろう。

 スタジアム周辺も工事の真っ最中だった。建設用の車両が行き交い、荷引きの馬が歩いている。

 スタジアムの敷地内から道を挟んだ反対側には意外な建物が並んでいた。マンションがあるのだ。1階では食堂や売店が営業している。

 そういえば、スタジアムの建てられた土地も、もともとは住宅だったと聞いたことがある。住宅街を更地にして建設したのだという。だからすぐそばに人々の生活する空間が広がっているのだ。しかし、工事の騒音と、歩いていて咳き込むほどの土ぼこりのかたわらでの生活は楽ではないはずだ。日本なら反対運動が巻き起こりそうなものだが……。

 午後は井村氏の取材。インタビュー、撮影と場所を変えながら行なった。

 移動はタクシー、徒歩織り交ぜてだったが、このとき、着いた初日は漠然と感じていたことを、思い知らされた。「交通ルールが分からない!」のだ。

 例えば通りの左を歩いているとする。信号が青になる。中国は日本の逆で車は右側通行だから、横断歩道を渡り始めたところの左側では赤信号で車やバスが止まっているはずである。ところがちゅうちょなく進んで右折しようとするのである。中国の人々は折を見て渡り、車も人々の隙をついて通っていく。自分も同じようにしようとしたが、タイミングがつかめない(のちに右折は許されていると知った)。

 その他にも、全部で6、8車線もある大通り、しかも交通量の激しい中を、車の警笛を気に留めず渡っていく人の姿を何度も目撃した。いつ轢かれてもおかしくない光景にぞっとした。自転車が大通りのど真ん中を走っているのも見た。自転車専用道があるにもかかわらずだ。あべこべに、自転車専用道を車が走り抜けることもある。

 もしかしたら北京なりのルール、秩序があるのかもしれないが、当方は滞在中、ついに法則を発見することはできなかった。

 不思議なことを見るにつけ、あれこれとたずねたくなるのだが、北京では日本語はもちろん、英語を話す人も多くない。フラストレーションが溜まっていると、その日の夜の食後、ようやく、日本語を話す人を見つけた。

 黒く焼けて短く髪を切り込んだ三十代の男性だった。流暢ではないが日本語で意思の疎通は図れる。話してみると、近くで酒を中心とする飲食店を営んでいて、北京で10年以上暮らしているという。

 「あまり五輪ぽい感じがしない? テレビのニュースやコマーシャルではよく目にしますけど、まだまだ先だからね。始まったら楽しみますよ。今は大変なこともあります。工事が多い。バスに乗るとき係がいて、行列作りなさいって怒られるのも五輪の影響でしょう。それと食料の値段がすごい高くなっている。肉は5、6倍くらいになったかな。おかげで生活は大変です」

 「店でのサービスですか? 私の店はお酒の店だから、給仕している人間はみんな愛想いいよ。でも一人一人違っていて問題ですかね? そういうものじゃないですか。道を渡るのが大変? うーん、渡れると思えば渡ればいいし、通れると思ったら通ればいいし。信号を見るんじゃなく。それでいいと思いますよ。自分で考えて動くということですね。じゃあ日本ではどうなんです?」

 そんな話を聞いて、数々の出来事を思い出しながら、思ったのは、「ここでは、大きな秩序やルールよりも、個人の判断が問われる。優先されるのかもしれない」ということ。

 中国というと、上意下達といおうか、ある種専制的なところがあるように思っていた。そのイメージとはどこか違う。

 きっと「個人主義」の人々なのだ。

 以前、ある指導者が口にした言葉を思い出す。

 「日本のようにふだんから集団的な秩序のある人々よりも、いつもはばらばら、個々で生きている人々が集団となったときのパワーはすごい」

 北京の人々が、8月に五輪へといっせいに同じ方向を向くのかどうか。それは大会の運営や雰囲気を左右するだろう。

 金メダル数で世界一を目指す中国五輪代表チームのパフォーマンスにもきっと影響を与えるはずだ。

 ところで、知人たちに心配された面ではなにごともなく終わった。マスクはしなかったし、王府井の裏手にある露店街で焼き鳥を食べようと、肉饅頭を食べようと、腹をこわすこともなければ、喉がどうかなることもなかったのである。

 帰国して10日ほど過ぎてから喉が腫れ上がったのは、北京へ行ったこととはきっと無関係だ。

井村雅代
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