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【山本ジャパン、最後の挑戦】
石垣島サバイバル 

text by

木ノ原久美

木ノ原久美Kumi Kinohara

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2004/07/22 00:00

【山本ジャパン、最後の挑戦】石垣島サバイバル<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

 アテネ・オリンピックへむけて、日本U23代表チームは7月6日から12日まで沖縄県の石垣島で合宿を行った。

 東京から2,250キロ以上、那覇からでも410キロはあるという東シナ海の南の島での合宿は、五輪代表メンバー入りをかけた最後のサバイバル競争の場でもあり、ギリシャの気候を想定した暑熱対策の場でもあった。

 山本監督はオーバーエイジ枠でGK曽ヶ端(鹿島)、FW高原(ハンブルガーSV)、MF小野(フェイエノールト)を招集する意向でチーム作りを進めているが、今回の合宿には曽ヶ端が初日から、7日から11日までは肺動脈血栓血塞症のリハビリを兼ねて高原が参加した。

 10日には五輪大会一次登録メンバー30人が発表され、そこにはこの合宿に参加していないMF森崎和(広島)とMF田中(横浜)の二人の選手が含まれた。大会登録は18人のため、最終メンバーに残るのがかなりの激戦であることは明らかだ。

 DF那須(横浜)は、「この合宿はサバイバルでもあり、個人個人のレベルアップの場でもある。どれだけ自分を高められるかだと思う」と話し、MF松井(京都)も「これは自分自身との戦い。一日一日を大切にやっていきたい」と語った。

 選手らのアピールは、当然、積極的だ。

 現地入りした6日午後、合宿最初の練習はランニングで始まったが、菅野フィジカルコーチに続いてMF鈴木(浦和)、MF那須(横浜)、DF茂庭(東京)がチームの先頭を走る。その後も連日午前午後の2部練習が続く中、1対1や好守の切り替えの練習で、選手らがコーチングする声がサッカーパークあかんまのフィールドに、にぎやかに響き渡った。アジア地区最終予選を一緒に戦ってきたメンバーが中心のチームは、いい雰囲気を保ちながらも、各自が生き残りに必死だった。

 山本監督も、ライバル同士をペアにして練習させるなど、選手の競争意識を煽ることも忘れていなかった。

 合宿3日目の練習で、DF徳永(早稲田大)と組んだ茂庭は、「(相手を)意識した」と話し、「トレーニングでこなすものは全てこなして、プラスアルファを出す。生き残れるようにやるだけ」と言った。茂庭は、1対1の練習で、あえてFW大久保(セレッソ)と当たるように自分から仕向けて、彼をしっかり押さえることができるところを見せようとしたという。

 これらの練習が続く中、高原は9日から一部同メニューで練習に合流。完治していない病のため対人プレーやヘディングに制限はあるものの、若手メンバーとともに汗を流した。

 高原の参加はチームにとっても刺激になっているようで、松井は「(高原がチームに合流したことは)非常にいいことだと思う。チームのレベルもパワーアップすると思うので、学べるところがあれば学ぶようにしたい」と話した。

 高原もチームに溶け込もうと積極的だったようで、9日午後、チームで川平湾観光に出かけた際には、彼は曽ヶ端と二人でほかのメンバー全員にアイスクリームをごちそうしたという。

 山本監督は「一緒にいて食事をするだけでも違う」と話していたが、フル参加でないものの、ほかの選手とのコミュニケーションを図るという点でも、高原合流の意義は大きかったようだ。

 合宿の後半は晴天に恵まれ、気温39度にもなる炎天下という、ギリシャの気候に近い気候の中で順調にチームは練習メニューを消化。12日、石垣島から14日のチュニジア五輪代表戦(豊田スタジアム)に向けて名古屋に移動した。

 今後、山本監督はチュニジアとの親善試合を経て最終メンバーを決定し、日本オリンピック委員会への選手登録期限の16日以降発表する予定だ。

 今回のサバイバル戦の結果がそこで判明し、日本五輪代表チームがその姿を見せる。

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