MLB Column from USABACK NUMBER

松坂大輔「狂騒」曲 第2楽章 ロスト・イン・トランスレーション 

text by

李啓充

李啓充Kaechoong Lee

PROFILE

photograph byGettyimages/AFLO

posted2006/12/20 00:00

松坂大輔「狂騒」曲 第2楽章 ロスト・イン・トランスレーション<Number Web> photograph by Gettyimages/AFLO

 12月14日、松坂大輔のレッドソックス入りが正式決定、ボストン中が沸き立った。地元テレビ局がこぞって入団発表を生中継したのはもちろんだが、レッドソックスが所有するスポーツテレビ局NESN(ヤンキースのYESに相当)は、記者会見の何時間も前から「松坂マラソン」と銘打ち、延々と松坂特集を続けた。さらに、ボストンのファンの期待の大きさを象徴するかのように、ボストン市長トム・メニーノも記者会見に駆けつけた(政治家が目立つ場所に出たがる習性を持つのは、日本と変わらない)。

 と「松坂フィーバー」が盛り上がったのはいいのだが、ただ一点残念だったのが、入団発表時の通訳が明らかに「プロ」ではなく、質問と答えの内容がかみ合わない、奇妙奇天烈としか言いようがない質疑応答となったことだった。松坂がリラックスしきっていたのとは対照的に、通訳氏は見るからにコチコチに緊張、見ていて気の毒になるほどだった。

 ファンのブログサイトには、記者会見が終わるや、すぐさま「通訳をトレードに出せ」というコーナーが設けられたし、ボストン・グローブ紙のコラムニストも、翌日、松坂がスムーズにメジャーやボストンに適応できるかどうかを論じた際に、通訳の頓珍漢ぶりをイントロに使う始末だった。日本語を理解しないアメリカ人が、一様に「通訳に問題あり」という結論に達したのも、それほど、質問と答えの内容がかみ合わなかったからだが、私も、通訳を介した記者と松坂の珍妙なやりとりを聞きながら、まるで、日本を舞台にして話題になった、映画『ロスト・イン・トランスレーション』(「翻訳の過程で真実が失われてしまう」という意味の題名)の、できそこないのパロディを見せられているような気持ちにさせられた。

 ところで、一時は「入団絶望」と報じられるほど交渉が難航、ファンはぎりぎりまでやきもきさせられたからこそ一層松坂の入団決定を喜んだのだが、レッドソックス側が提供した条件と松坂側が要求した条件とには、天と地ほどの開きがあったのだから、難航したのも無理はなかった。松坂の代理人、スコット・ボラスが「松坂は1億ドルの価値がある」と言っていると聞かされて、レッドソックスのGM、テオ・エプスタインは「私もまったく同じ意見です」と答えたが、同じ1億ドルでも、ボラスは「年俸だけ」、エプスタインは「西武に払った5100万ドルと年俸を合わせて」という意味で言っていたのだから、提示額と要求額との間には倍ほどの開きがあったのである。

 もともと交渉期間は30日と限られていたし、レッドソックスは、交渉権を獲得した直後、すぐに、ボラスに条件を提示した。ところが、いくら返事を待てども梨の礫(つぶて)、ついに、交渉期限まであと数日を残すのみとなってしまった。しかも、ボラスは、「2年待ってFAになれば、何千万ドルもよけいに稼げるのに、なぜ急ぐ必要がある」と記者会見まで開いて嘯いた(選手がよけいに稼げば、代理人のボラスにもコミッションが余分に入るのである)。「本当に松坂を日本に帰すつもりか」と、レッドソックス側が不安になったのも無理はない。

 「メジャーに来たいという松坂の意思は強いはずなのに交渉が進まないのは、ボラスが依頼人に本当のところを伝えていないせいではないか?」と、レッドソックス側は疑心暗鬼に陥ったというが、実際、ボラスには、「依頼人にも平気で嘘をつく」という評判があるだけに、疑心暗鬼に陥ったのも無理はなかった。暗礁に乗り上げた交渉を打開するためにレッドソックスが取った作戦は、ボラスのいるロサンジェルスに派手に押しかけると同時に、「初めの条件よりもいい条件に変えましたよ」とマスコミに公表することで、「動きがあった」という情報が絶対確実に松坂に伝わるようにすることだった。さらに、「13日午前9時にボストンに向かう飛行機に乗らなければ契約締結に必要な健康診断に間に合わない」と、交渉の最終期限も設定、松坂側の決断を迫った。

 しかし、その後も交渉は難航、13日午前7時30分(レッドソックスが定めた最終期限の90分前)、滞在先のホテルを出ようとしていたエプスタインが「これから飛行場に向かうが、本当に妥協する気はないか」と念押しの電話をかけたのに対し、ボラスは、きっぱり「ノー」と答えたという。ここでエプスタインは完全に諦めたのだが、ボラスから「これから松坂と空港に行く」と電話がかかってきたのはそのわずか数分後のことだった。

 土壇場の「逆転劇」が、ボラスお得意の「最後の最後まで相手を焦らす」作戦の台本に従ったものだったのか、それとも、日本の一部の報道が言うように、合意を渋るボラスを松坂が説得したのか、真相は定かでない。ただ、日本の報道が言うように、もし、「どうしても(契約のために)飛行機に乗せてほしい」と松坂がボラスに懇願したとしたら、それは「主客転倒」もいいところだろう。なぜなら、依頼人の希望を叶えることは代理人が何よりも優先しなければならない義務であるはずだし、代理人に「懇願」しないと希望を叶えてもらえないというのは解せない話だからだ。自分の言うことを聞かない代理人は「解雇」すればよいというのがこちらの常識だし、バリー・ボンズなど、しょっちゅう代理人を変えることで有名なほどなのである(ボラスは「がめつすぎる」とファンから嫌われているだけに、もし、松坂が、交渉難航の打開策としてボラスの首を切っていたら、すぐさまスーパー・ヒーローになれたのだが、惜しいチャンスを逃したものだ)。何はともあれ、最後に交渉がまとまり、晴れて入団となったのだから、まずは「めでたし、めでたし」である。

 ところで、私も他のレッドソックス・ファンも、入団発表の際の通訳は球団側が用意したものと思い込んでいたが、ボストン・グローブ紙によると、松坂/ボラス側の関係者だったという。交渉がぎりぎりまで難航した本当の理由は、記者会見の時と同じように、交渉自体も「ロスト・イン・トランスレーション」の状態で行われたせいだったのだろうか。

松坂大輔
ボストン・レッドソックス

MLBの前後の記事

ページトップ