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From:リスボン(ポルトガル)~東京(JAPAN)「僕は『熱病フットボール』」 

text by

杉山茂樹

杉山茂樹Shigeki Sugiyama

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photograph byShigeki Sugiyama

posted2004/07/13 00:00

From:リスボン(ポルトガル)~東京(JAPAN)「僕は『熱病フットボール』」<Number Web> photograph by Shigeki Sugiyama

東京で待ち受けていたのは凄まじい猛暑。

熱を出し朦朧とする頭に浮かんできたのは

ポルトガルでの夢のような25日間だった。

 帰国便は翌朝6時発のKL機。決勝戦の後、12時過ぎにホテルに戻ると、1本原稿を大急ぎで書き上げ、そしてシャワーを浴び、午前4時過ぎには、空港目指すタクシーのリアシートに身を委ねていた。

 6時発のアムステルダム行きは、リスボン発の最初のフライトで、つまり僕はユーロ2004の決勝戦を観戦した人間の中で、誰よりも早く現地を後にした。

 アムスまでの3時間は爆睡。アムス〜東京間も、所要時間の11時間中9時間は寝た。2時間は目を覚ましていた理由は、機内が寒かったから。サマーセーターの上に毛布2枚掛けする態勢だったが、それでもブルブルと震えていた。機内は25日間いた夏のポルトガルとは、対極を成す環境だった。

 成田到着。機体から一歩通路に足を踏み入れた瞬間だった。不快な熱気に襲われたのは。東南アジアにでもやってきちゃったのかと思ったほどだ。「凄い湿度だな。これは普通の気候か?」。バゲージクレイムで機内預けの荷物を待っていると、隣にいたブレーメンからやってきたドイツ人男性は、おもむろに呟いた。「そう。これはこの時期の典型的な気候」と僕。「これから名古屋に行くんだけれど、名古屋も同じか?」「もっと酷いと思う」

 東京も酷かった。一年の中で最も不快な気候がポルトガル帰りの僕を待ち受けていた。気候の変化で身体は狂いそうだった。ガンガン冷房を効かせて寝たことも輪をかけた。日本到着3日目。完璧に僕は風邪を引いた。体はだるく、たぶん熱もかなりある。〆切はあるというのに、ああ最悪。ソファに横になり、ゴロゴロ、ウトウトとしていると……。朦朧とした世界に蘇ってきたのは、ポルトガルの25日間だ。連日の光景が、それこそ走馬燈のように。

 いつにない満足感だ。僕のお腹は、とても良い感じに膨らんでいる。ユーロ2004。これほど気分良く過ごせた25日間は他にない。そういいたくなる良いイメージが、どっさり凝縮されている。

 何より、ポルトガルそのものが良かった。風景も良ければ人も良し。そして何より食事が美味かった。鰺、鰯の塩焼きに各種のおじや……。いつでも、それらはホッとするとても昔懐かしい味がした。魚はどれもとびきり新鮮で、普段は苦くて敬遠する鰯の内臓まで、惜しむようにパクパク食べた。

 スタジアムも良かったし、試合そのものも良かった。伏兵ギリシャが優勝する展開も文句なし。それから忘れてならないのが、各国からやってきた応援団。ナショナルカラーに身を包む様々な集団が入り乱れる、カラフルこの上ない空間はとても平和的で、彼らと一緒にそこに身を委ねると、極楽気分を満喫することが出来た。街の至る所に、そうした空間が用意されている点が、また良かった。お祭りの風景はあちこちに用意されていた。開催国のポルトガルが勝てば、民衆はまるで独立を勝ち取ったかのように、朝方まで狂喜乱舞に包まれた。作為的でなく、自然な姿であるところがとても良かった。季候も良かった。気温は35〜36度にまで上昇したので、それはそれで暑く感じたが、湿気はない。あっさり爽やか。有り難みは、遅まきながら実感できる。

 僕がいまウナされている熱は、ユーロ2004の余韻なのかもしれない。ふと、某有名ライターがナンバー本誌に連載していた紀行文のタイトルを思い出した。「熱病フットボール」。申し訳ないけれど、いまの僕には、それがそのまま当てはまるように思う。冷めて欲しいような、欲しくないような。

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