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『戦極』フェザー級GP、
トーナメント崩壊というハッピーエンド。 

text by

橋本宗洋

橋本宗洋Norihiro Hashimoto

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photograph bySusumu Nagao

posted2009/08/18 11:30

『戦極』フェザー級GP、トーナメント崩壊というハッピーエンド。<Number Web> photograph by Susumu Nagao

1R、2Rと圧倒的に攻め続けた日沖だったが、金原にしぶとく凌がれる。3Rは金原が逆襲に出るも決定打に欠け、判定で日沖が勝利した。

 8月2日、さいたまスーパーアリーナで行なわれた戦極フェザー級GPファイナルラウンド(準決勝・決勝)は、出場4選手のうち最も“弱い”金原正徳が優勝するという結果に終わった。

 準決勝の結果は、日沖発vs金原が判定3-0で日沖の勝利、小見川道大vs.マルロン・サンドロが判定2-1で小見川の勝利。単純にこの結果だけを見れば、金原が最も弱いということになる。だが、その金原が、日沖の棄権によって繰り上がりで決勝進出を果たし、決勝でも小見川を判定2-1で振り切って優勝を果たしてしまったのだ。今年からスタートした新階級、その世界観を形作るべく開催されたトーナメントが、これでは成立していないことになる。

 にもかかわらず、決勝戦が終わった後の場内に、失望や落胆といったムードは薄かった。なぜなら、我々はこのGPファイナルを、優勝者が決まるまでの一本道ではなく、複雑で重層的な物語として味わうことができたからだ。

日沖の棄権でもたらされた、意味の捉え直し

 象徴的なのが、日沖vs金原の準決勝だ。リアルタイムで見たこの一戦は“日沖の試合”だった。マウントポジションをあっさりと奪ってパンチを連打し、さらに三角絞め、腕十字とアグレッシブに一本勝ちを狙っていく日沖。3Rこそ反撃を許したものの、光ったのは彼の流れるようなグラウンド・テクニックだった。

 だが、日沖が負傷と極度の疲労のためリタイアし、代わって出場した金原が無尽蔵とも思えるスタミナで決勝戦を乗り越えたことで、準決勝が違った意味を持ち始めた。

 金原が主戦場とするZSTでは、グラウンドでの顔面パンチが禁止されている。また判定システムもなく、時間切れの場合はすべてドロー。ゆえに選手は“しっかり抑え込んでコツコツ殴る”といった堅実な戦法を許されず、常に動きまわって一本・KOを狙わざるをえない。

 そんな、ZST特有の極め合い、倒し合いで磨かれたからか、金原は日沖戦でも動くことをやめなかった。どんなに劣勢でも、たとえ隙を作ることになってもディフェンスを固めることより次の展開に移行することを優先したのだ。相手が金原でなければ、日沖はスタミナを使い切るほど攻める必要はなかったかもしれない。日沖は金原に“疲れさせられた”のかもしれない。そう考えると、この闘いは“金原の試合”へと一変するのだ。

フェザー級の“名勝負埋蔵量”

 もし、準決勝の結果通り日沖と小見川が決勝を闘い、すんなりと優勝が決まっていれば、このGPはシンプルな“真の勝者の物語”に収斂されていただろう。だが現実にはそうはならず、だからこそ我々は金原の魅力を味わい直すことができた。

 いや、金原だけではない。圧倒的な力量を見せつけながら棄権を余儀なくされた日沖も、3月の開幕戦から優勝候補を立て続けに破り、最後の最後で力尽きた小見川も、敗れてなお“綻び”の見えなかったサンドロも。誰もが、記憶の中でそれぞれの個性と物語を主張してくる。

 GPを終えた今、フェザー級は戦極で最も“名勝負埋蔵量”の豊富な階級となった。日沖と小見川による幻の決勝戦。無傷の状態で小見川と金原が闘ったらどうなるのか。王者・金原に日沖が挑戦する構図も興味深い。あるいはサンドロvs金原、日沖――。これから繰り広げられるであろう闘いの濃さと熱さを思う時、いっそ「新階級のGPに、真の勝者などいらなかった」とさえ言ってみたくなるのだ。

マルロン・サンドロ
金原正徳
小見川道大
日沖発

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