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バブルが去ったとき。 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

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photograph byJMPA

posted2006/06/16 00:00

バブルが去ったとき。<Number Web> photograph by JMPA

 ブームというのはおそろしい。辞書を引くと、「急に人気が上昇してはやりだすこと。急激に盛んになること。にわか景気」とあるように、いつかは去ってなくなってしまうものだからだ。

 あるいは、つぎのように考えると分かりやすいかもしれない。

 あることが人気になると、経済学者はそこに経済効果が生まれるというようないい方をする。簡単にいうと、100億でも500億円でもいいが、そこに一定の市場が生まれ、そこから利益を得ようとする者の金の分捕り合戦がはじまるのである。そして、その市場に金が残っているうちは彼らはそこにとどまるが、分捕りつくしてしまうと、つぎの市場を求めて去って行く。つまり、ブームは終わったのである。

 かつてF1がそうだった。それまでは新聞も雑誌もF1のことなど1行も書かなかったのに、1986年にホンダエンジンがチャンピオンになり、'87年から鈴鹿でF1が開催されるようになると、とつぜん一大ブームになった。あらゆる人々が一儲けしようとしてそこに殺到し、F1の専門雑誌がにわかに10誌も20誌も創刊され、F1カメラマンが写真展を開くと、一枚の写真が30万円も40万円もで売られたのである。

 しかし、いまはF1のことなど誰も話題にしないし、かつてはレースのたびに何十と出ていたF1観戦ツアーの広告も見ない。F1市場の金は分捕りつくされたのである。

 サッカーはだいじょうぶだろうか。折りしもワールドカップの真っ最中とあって、新聞でも雑誌でもテレビでも日本代表のニュースを見ない日はない。これを一大ブームといわずして何といおう。'93年にJリーグができるまでは、サッカーはごくわずかのファンの楽しみで、ワールドカップの存在などはほとんどの人が知らなかったのに、この騒ぎなのである。

 F1ブームのときと同じように、その市場から金を分捕ろうとして、何百、何千という人間、あるいは企業が殺到しているであろうことは想像に難くない。試合のチケットが入手できる見込みもないのに、ワールドカップ観戦ツアーを仕立ててしまう旅行業者などはその典型といえる。なにしろ、日本が決勝トーナメントに進むと、電通の試算によれば、その市場規模は4700億円に達するらしいのである。かなり分捕りがいがある。

 それだけならまだいいが、彼らは分捕る金をより多くするための手っ取り早い方法として、選手を利用しようとする。おそらく、いまドイツではエージェントと称する人間たちが代表選手のまわりでさまざまな甘言をささやいていることだろう。テレビ局は、ワールドカップのあとに、たとえば「ブラジル戦の真実」といった番組をつくるといって、自慢の女子アナウンサーたちに思わせぶりな笑顔をふりまかせているかもしれない。むろんそれをスポンサーに売るためで、真実を伝えるためではない。

 いまはぼくは、日本代表がどんな成績を残すかということはもちろんだが、それらのことをもっとも心配している。そうした甘言に気がそぞろになり、知らず知らずのうちにスポイルされてしまう人間は多いからだ。甘言というのは気持ちのいいものだが、選手たちはいま彼らに近づいて甘言をささやく人間は、ブームで生まれた市場に分捕る金がなくなればたちまち去って行ってしまう人間だということを心得ていたほうがいい。

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