MLB Column from USABACK NUMBER

大家友和の罪作りな背中 

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李啓充

李啓充Kaechoong Lee

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photograph byGettyimages/AFLO

posted2005/06/20 00:00

大家友和の罪作りな背中<Number Web> photograph by Gettyimages/AFLO

 映画『フィールド・オブ・ドリームス』に「ムーンライト・グラハム」というキャラクターが出てくる。若い日にメジャーでただ1試合プレーしたけれども打席に立つことができなかったと、一生残念に思う医師、という役回りだ。

 実は、このムーンライト・グラハム、実在のモデルがいる。1905年6月29日に、ニューヨーク・ジャイアンツの右翼手としてただ1試合だけ守備についたと記録にあるが、1876年11月生まれだから、大リーグデビューを飾ったときには28歳だった勘定になる。本人も、年が年だからと見切りをつけたのだろう、デビュー試合を引退試合として、医師の道に進んだ。その後、映画のとおり、ミネソタの田舎町で小児科医として一生を終えるのだが、どの大リーグ選手名鑑(エンサイクロペディア)を見ても、ちゃんと「ムーンライト・グラハム 1試合0打数0安打0打点打率0割0分0厘」と記載されている。

 グラハムは、1試合だけの出場でもエンサイクロペディアに名前を残すことができたからよかったが、メジャーに上がることを夢見て何年もマイナーリーグで頑張ってきた選手にとって、大リーグ選手名鑑に名を載せることは特別の意味を持っている。

 ユダヤ人選手として初の殿堂入りを果たしたハンク・グリーンバーグの息子スティーブも、イェール大学を出た後、父親の後を追ってマイナーで5年頑張ったが、メジャー入りはならなかった。スティーブは、その後、弁護士を経て、MLBの副コミッショナーになるなど野球の世界で重要人物となったが、「父親と自分の名を、エンサイクロペディアで並べることができなかった」と、今でも、悔しく思っているのである。

 2003年にロッテでプレーしたこともあるリック・ショート(32歳)が、ドラフト後苦節12年、初のメジャー昇格を果たしたのは6月9日のことだった。翌10日、代打として打席に立ち、見事にタイムリーヒットを放ったが、マイナーで打った1235本のヒットを全部集めたよりも、この1本のヒットの方がうれしかったろう。

 しかし、ショートにとって不運なことに10日、ナショナルズは大家友和投手をブルワーズに放出、引き替えにジュニア・スパイビー二塁手を獲得した。さらに、同日、ナショナルズは、大家の放出で足りなくなった投手の頭数を補うために、今季レンジャースの開幕投手を務めたライアン・ドリースをウェーバーで獲得した。投手は差し引きゼロだが、スパイビーの加入でベンチ入り25人の枠から野手が一人余ることになり、11日、メジャーに昇格したばかりのショートにマイナー行きが命ぜられたのだった。

 そもそも大家がトレードに出されたのは、投手交代を告げに来たフランク・ロビンソン監督に背を向けるという「侮辱行為」をしたことが直接の原因だった。もし、大家が背中を向けていなければスパイビーが来ることもなかったろうし、今頃、ショートもメジャーに残っていたかもしれないのだから、大家も罪作りなことをしたものである。

 もっとも、ショートのメジャーでの経歴がこのまま終わってしまうとすると、エンサイクロペディアに「リック・ショート 1試合1打数1安打1打点打率10割0分0厘」と、これはこれで美しい記録を残すことができるのだが……。

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