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アロンソとルノーの初戴冠 

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西山平夫

西山平夫Hirao Nishiyama

PROFILE

photograph byMamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

posted2005/09/29 00:00

アロンソとルノーの初戴冠<Number Web> photograph by Mamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)

 ブラジル・サンパウロのインテルラゴス・サーキットでF1史上最年少、そしてF1史上初スペイン人のチャンピオンが誕生した。

 フェルナンド・アロンソ、1981年7月29日生まれ24歳。スペインはオビエド出身の彼は2001年のオーストラリア・グランプリでミナルディを駆りデビュー。チャンピオンを決めたブラジル・グランプリは68戦目のF1レースだった。

 アロンソとルノー陣営はインテルラゴスであきらかに自力でチャンピオンを取りに行った。前戦ベルギーまではチャンピオンの可能性が熟すのを待っていたが、ブラジルでは積極的に“ここで決めてやろう”という意志が見えた。

 ポイントはアロンソがポールポジション狙いに来たことであり、見事それを実現したことである。むろん、ポール即優勝ではない。ポールポジションを取るにはいわゆる軽いタンク(少ない燃料)でアタックしなければならないから、早目のピットストップを強いられ、その間にライバルのマクラーレン勢が前に出てしまう。しかしアロンソ&ルノーはそんなことは先刻承知。ポイントはレース中に3位に落ちた時、4位との差がどれだけ開いているか、なのだ。

 仮に決勝3位狙いは同じだとしても、予選でマクラーレンの最前列独占を許したらどうなるか。ライコネンが先行し、モントーヤがアロンソを抑えにかかると必然的にアロンソと4位との差が縮まってしまう。その4位がフェラーリなりホンダで、彼らがアロンソより多い燃料を積んでいたら……ひょっとしたらアロンソは4位に落ちてしまい、自力チャンピオンはなくなってしまう。

 だから、ポールポジションを取って、レースのある時点までマクラーレンを後続との防御壁に使い、予定通り3位に落ちた時は4位の手の届かないところにいる、そうプランニングを練ったのではないだろうか?

 ここから先はさらなる推測だが、この戦略を導いたのは前戦ベルギーのレース経験だったのではないか。ライコネン優勝、アロンソ2位で、ブラジル自力優勝のお膳立てができたのだが、しかしあの2位は拾った2位であり、結果オーライの2位だった。モントーヤが周回遅れに追突されてリタイアしなければアロンソは3位で、ブラジルで自力優勝の目はなかった。それにベルギーは途中までラルフ・シューマッハーが2位を走っており、アロンソは4位に終わった可能性さえあった。それはそもそも予選でマクラーレンが最前列を抑えたことに端を発している。これらのことをルノー陣営は猛反省し、ブラジルでは予選から積極的な勝負に出たのだと思う。

 アロンソの才能はすばらしい。しかしそれを支えたルノー(旧ベネトン&ルノー・スポール)の叡智も高く評価したい。

 そうだ、F1史上初はスペイン人王者だけではなかった。自動車メーカーの世界的老舗ルノーもまた初めての戴冠なのだ。『おめでとうアロンソ、おめでとうルノー!』の横断幕が、2週間後の鈴鹿で見られるだろう。

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