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エトーはそれでも得点王を目指す。 

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鈴井智彦

鈴井智彦Tomohiko Suzui

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photograph byTomohiko Suzui

posted2006/01/11 00:00

エトーはそれでも得点王を目指す。<Number Web> photograph by Tomohiko Suzui

 フォルランにゴールを奪われて、サムエル・エトーがぶち切れた。「何やってんだテメェら」と仲間に迫ったのは、昨シーズンのバルサ対ビジャレアル戦でのことだった。

 あと2試合。エトーの得点王は決まりと思われたが、フォルランにハットトリックを決められて24ゴールで並ばれた。さらには、最終節でフォルランは1ゴールを追加したのに対して、エトーは無音。得点王はオイラのもんだ、とタカをくくっていたら、大逆転。これはもう、ラスト2試合で4ゴールを叩き出したフォルランを褒めるしかないが、そのうち3発をカンプ・ノウでやられては、仲間のDFに「オマエは敵の回し者か」と怒鳴る気持ちもわからなくはない。このときエトーは、ハーフタイムのロッカールームにて、キャプテンのプジョルにこっぴどく怒られたらしいけど。

2004-2005シーズン

試合 ゴール PK ヘディング 右足 左足
フォルラン 38 25 1 1 14 10
エトー 37 24 0 2 20 2

 エトーの才能が開花したのはマジョルカでの5シーズンにある。しかし、当時の監督、ルイス・アラゴネスに胸ぐらを掴まれての言い争いは、ほとんど親子ゲンカみたいだった。だから、ライカールトがどうしてもエトーを獲得したいと志願したとき、ラポルタ会長はあまりいい顔をしなかったという。あの問題児じゃなくても、他にも選択肢はあるだろうにと。

サムエル・エトー
カメルーン代表
1981年2月5日
ヌコン生まれ
24歳
デビュー戦
1998年12月5日
エスパニョール0-0レアル・マドリー

 エトーは16歳のときにレアル・マドリーでデビュー。しかしメッシのような輝かしさはなかった。アフリカン独特のバネ、身体能力に長けてはいたが、その冬にはエスパニョールへレンタルされる。しかし、ほとんどトップに合流しないまま、レアルに返送されたのだった。マドリッドで2度目の冬、今度はマジョルカへ飛ばされた。未成年のカメルーン人には首都よりも島がフィットしたのは想像できる。いまも家族はマジョルカ島にいて、弟はマジョルカのユースでプレーしている。

2005-2006得点王ランキング(18節終了時点)

1 エトー 18
2 ビジャ 10
3 ロナウジーニョ 10
4 ロナウド 9
5 トリスタン 8

 このままエトーが驀進すれば、96-97シーズン以来、久しぶりにFCバルセロナから得点王が生まれることになる。あのロナウド以来のことだ。だが、エトーは1月半ばから始まるアフリカ選手権に出場するために、スペイン・リーグを最低でも3試合は抜けることが決まっている。

 しかしエトーには、ひとつの目標がある。得点王のタイトルだけでなく、ウーゴ・サンチェスの持つ1シーズン38ゴールの記録を塗り替えることだ。89-90シーズンのウーゴは3度もハットトリックを決め、チームとしてもレアルは107ゴールという数字を引っさげてのリーグ優勝だった。そのレアルを、ウーゴを超えたい、と。エトーはレアルであまりいい思い出がないどころか、憎んでいるから……。

 最後にウーゴ・サンチェスは言う。

 「サムエルはエリア内ではすごく機敏な動きをする。純粋な9番ではないけれども、ポジショニングはとても優れている。でも、この先何があるかわからない。アフリカ選手権でケガなんてことも、ありえる。だけど、エトーに記録を破れらるのは嫌だなぁ。なんたって、彼はバルサだからね」

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