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日本フェンシングの大いなる挑戦。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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posted2007/10/24 00:00

日本フェンシングの大いなる挑戦。<Number Web> photograph by FJE

 10月7日、ロシアから、大きなニュースが飛び込んできた。フェンシング世界選手権の女子フルーレ団体で、日本が銅メダルを獲得したのである。日本のメダルは、オリンピック、世界選手権を通じ史上初のことだ。

 フェンシングは、中世の騎士の剣技を原型に、20世紀初頭、パリで統一規則が作られて現在のスタイルとなった競技である。その成立ちからわかるように、ヨーロッパこそ本場であり、日本にとってのフェンシングは、欧州の人々が剣道に取り組むようなものといってよい。

 それを考えれば、準々決勝で世界ランク1位のイタリアを破っての今回のメダルの価値の大きさが知れる。

 では、世界の厚い壁を破ることができた理由はどこにあるのか。実は、フェンシング日本代表は、今年に入り、異例の強化に取り組んできた。日本フェンシング協会が都内に住居を用意し、全国に散らばっていた代表選手たちはそこで生活しながら、国立スポーツ科学センター(JISS)で長期合宿を行なってきたのである。

 そこには、オリンピックで必ずメダルを取る、という協会の強い意志があった。強化のトップに立つ張西厚志専務理事は、経緯をこう語る。

 「シドニー五輪のあと、世界と戦えないままでいてはいけない、オリンピックでメダルを、そんな声が強まりました。それがスタートになりました」

 出場したすべての種目で初戦ないしは2回戦敗退に終わった'00年のシドニー五輪後、強化部門が真っ先に課題にあげたのは、コーチングの充実であった。そして'03年秋、ウクライナの代表選手として活躍していたオレグ・マツェイチュクを日本代表の統括コーチに招聘する。

 迎えた'04年のアテネ五輪は、しかし、結果にはつながらなかった。あとは何が足りないのか。その答えは、練習量の差だった。本来なら、日本のほうが練習量が多くなければ、強豪国に追いつくことはできないのに、各国を分析した結果、日本は明らかに少ないことが分かったのだ。

 その解決策として浮かんだのが、長期合宿という方法だった。アイデアをたやすく実行できたわけではない。アマチュア競技団体であるフェンシング協会には、潤沢な資金はない。地道に、強化方針と「北京でメダルを取る」という目標を説明しては資金を募り、目処を立てた。

 とはいえ、選手の中には、社会人として働きながら競技を続けている選手もいる。そんな事情もあって、張西氏は、「尻込みする選手が出るかもしれない」と思っていた。だが話してみると、反応は違った。

 「最初は選手も驚いていました。今までにないことですから。でも全員が、『ぜひやり抜きたい』と言ってくれ、職場の理解を得て、参加してくれたのです」(張西氏)

 熱意は、世界選手権銅メダルとして、ひとつの結果につながったのである。

 今回は女子が脚光を浴びたが、男子もまた、楽しみな選手がそろっている。男子には、親がフェンシング選手だったことから幼少からフェンシングを始めた選手が多い。強豪国の選手は小さい頃からフェンシングを始めるため、これまでは競技年数、経験の差が大きかった。その点でのハンデがないのだ。実際、「二世」の太田雄貴が世界ランク7位、千田健太は14位につけるなど、上位に食い込む勢いを見せている。

 「男子の選手はひと足早く帰国の途に着いたのですが、女子のメダルを聞いて、『すごい。俺たちも』と騒いでいたようです」

 合宿は、北京五輪直前まで続けられる。北京で悲願のメダルとなるか。それはやさしくはないが、少なくとも、今回のメダルが、その足がかりとなったのは間違いない。

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