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ライカールトがクライフに追いつくとき。 

text by

鈴井智彦

鈴井智彦Tomohiko Suzui

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photograph byTomohiko Suzui

posted2006/05/11 00:00

ライカールトがクライフに追いつくとき。<Number Web> photograph by Tomohiko Suzui

 ええじゃないか。ええじゃないか。FCバルセロナの優勝が決まった夜は、センター街のランブラス通りで狂喜するのがお約束。喜びは朝方まで続いた。自転車やゴミ箱が燃え、信号機は破壊された。さらに、度が過ぎたのか、どさくさに紛れての計画的犯行か。眼鏡屋のガラスをぶち壊したというニュースまであった。「約1000個のサングラスが盗まれました」って、ただごとではない騒ぎだった。

 でも、優勝というメデタさにかき消され、「あぁ、そうですかぁ」という他人事の空気が流れもする。バルセロナではそんなに珍しいことでもないからか。相変わらず泥棒の被害の数はヨーロッパで三本の指に数えられる。もしかしたら一番かも。チェルシーに勝った夜もそうだった。カタルーニャ広場で警官隊が警棒を振り回した相手は、イギリス人ばかりでなく、カタラン人もいた。勝利=暴動。よくある話。

 カタラン人をそこまで狂わしたのは、バルサであり、ロナウジーニョだ。しかし、振り返るとリーグの序盤戦はかなり苦しんだ。7節の時点ではレアル・マドリーが首位で、FCバルセロナは5位(2勝1負4分)。カンプ・ノウでは選手にブーイングが浴びせられた。特に、マルケスに……。

 ライカールトは最終ラインでボールを捌ける選手を求めた。以前、監督を務めたファン・ハールもこの考えを持っていて、グアルディオラやコクー、セラーデスを試したが、適任者がいなかったために断念したのを思い出す。しかしいまは、戦術が進歩したから実現できた。レアルではイバン・カンポがノイローゼになったが、マルケスは罵声に耐えた。彼が質の高いパフォーマンスで、ライカールトの期待に応えていったのがバルサのはじまりだった。

 守備が安定するとバルサは連勝街道を突っ走った。それでも、ライカールトの右腕であるテン・カテは口をすっぱくして、守備に関して選手に檄を飛ばした。試合によっては、監督よりもライン際に出る回数が多いほどだった。スパルタク・ロッテルダムを2部に落とすという苦い経験のあるライカールトが化けたのも、相方テン・カテとの絶妙なコンビネーションあってこそだった。たとえ、ロナウジーニョがいたとしても。

 さらには、中盤が奏でるバルサ独特のテンポはいつも心地よかった。シャビ、モッタ、エジミウソンらがケガで戦線離脱してもなお、機能した。前線の3枚(ロナウジーニョ、エトー、メッシ)は状況によっては前に残ってチャンスを伺っている。自然と、相手にファーストチェックするのはMF。相手陣内まで、ボールを持っていくのも彼らの役目。これはどのチームにもいえるけれど、あれほど高いDFラインを保っていられるのも、中盤での仕事の速さ、リズムがいいから。序盤戦での不調はいまの型にもっていくための授業料だったということだ。アトレチコのフェルナンド・トーレスにカモられたプジョールの背後は、その後それほど悩みの種ではなくなっている。

 ロナウジーニョの左サイドというのも、ファン・ハール時代とダブった。あの頃はリバウドが断固として左に張り付くことを拒否。中央でのプレーを譲らなかったことで、一度、セビージャへの遠征メンバーから外された事件もあった。でもロナウジーニョはいうことを聞いた。これはやはり、ライカールトの人柄によるところが大きい。選手との信頼関係。懐はかなり広かった。

 96−97シーズン、監督だったボビー・ロブソンは「ロナウドが戦術だ」と名言を放ったが、リーグ優勝はできなかった。ファン・ハールはリーグ連覇こそしたが、選手とファンには嫌われた。セラ・フェレール、レシャック、アンテッチのころは思い出したくもない時代とすると、ライカールトは過去10年でもっともバルセロナに狂喜を呼び込んだ監督といえる。

 だが、まだクライフには及ばない。チャンピオンズリーグを制覇しなければ、いつまでもドリーム・チームの残像を追い払えない。あの時代は良かった、と。でも、もう、古い。パリでバルサは新時代を築き、日本で行われる世界クラブ選手権に向かう。そうなった暁にはバルセロナの街はどうなるのか。また狂喜乱舞。想像もつかない。

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