Number ExBACK NUMBER

森島康仁 悩めるデカモリシ。 

text by

熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

PROFILE

posted2007/09/06 00:03

 あれから1カ月が経ったいまも、森島康仁はカナダでの愉快な日々を思い出すという。

 20歳以下のワールドカップでグループリーグ1位通過という快進撃を見せたU-20日本代表は、メディアが報じたとおりの『お調子者軍団』であり、爆笑や悪戯が絶えないその輪の中心には、決まってデカモリシこと森島康仁がいた。

 「僕ら本当にうるさくって、ホテルですれ違うだけで滅茶苦茶うるさかったんすから」

 元気一杯に練習して、ピッチの外ではやたらと騒ぐ。そんな賑やかで溌剌としたチームの中で、彼はちょっとした悩みを抱えていた。ルームメイトのキーパー林彰洋が発する、盛大なイビキである。

 あるときデカモリシはイビキ対策に妙案を思いつき、早速実行に移した。ベッドで高らかにイビキをかいている林に向かって、派手なダイブを敢行したのだ。

 しかし、林は恐るべき男だった。186cm、80kgの巨体をまともに食らっても巌のようにびくともせず、ふたたびイビキをかき始めたのである。

 子どものように無邪気な表情で、デカモリシは明かしてくれた。

 「そうなんす。アハハ……だから次は仲間を呼んでね、みんなで一斉にダイブしたんすよ。そしたらさすがの林もびっくりして飛び起きて、アハハハハ……」

 スコットランド戦で相手のミスをつき先制点を決めたデカモリシは、「ビリーズブートキャンプ」のパフォーマンスを得意満面に披露し、一躍人気者となった。そのきっかけについては、こんなふうに話す。

 「カナダではね、インターネット回線でテレビを見てたんすよ。それでTBSの『スーパーサッカー』を槙野(智章)と見てたら、柏レイソルのファンがビリーの真似してて、ゴール決めたらこれやろって。それで、試合の2日前あたりから『ウイニングイレブン』でゴールが決まるたびに、“みんな集まれ!― おい、おい、おい!”って感じで練習してたんすよ」

 その場にいるような笑顔と身振り手振りを交えながら、夢中になって喋っている。話しながら堪えきれずに笑い出してしまうのだから、それはもう楽しかったのだろう。

 「だって僕ら、吉田(靖)監督のこと、ヤッコさん、ヤッコさんっていじりまくるくらいだったんすから。僕らは凄く噛み合ってた。スタッフの中には、“いろんな大会を経験したけど、お前らの代がいちばん面白かった”って言ってくれた方もいて。チェコにPK戦で負けたときは大泣きしたけど、最後は打ち上げでコーラ飲みながら、このメンバーで北京五輪に行こうなって言い合ったんすよ。ほんと充実してたし、いい仲間に出会えたなあって」

 カナダから帰国してからというもの、大阪の街を歩いていると、「デカモリシだ!」、「ビリーの人だ!」、「ビリーのポーズで一緒に写真撮ってください!」と声をかけられるようになった。ワールドカップの記憶は自らはもちろん、世間にも強く焼きついている。

 しかし、いつまでもカナダの思い出に浸っていられるはずもない。帰ってきたデカモリシを世間は持て囃したが、その一方で厳しい現実も待ち受けていた。

 カナダで世界を相手に一歩も引かないプレーを見せたデカモリシは、いまJ2で戦っている。実は、スタメンを外れることも少なくない。

 「凄く悔しいっす。カナダで一緒に戦った仲間の多くはJ1でプレーしてるし、ミチ(安田理大)のように首位争いしてるチームのレギュラーだっている。なのに自分はJ2で出たり出なかったりだから……」

 チェコに敗れてからおよそ半月後、デカモリシは中国・瀋陽で開催された五輪代表の4カ国大会に招集された。

 北朝鮮との初戦で76分間ピッチに立ち、納得できるプレーができたと自信に胸を膨らませた。この試合の直後、彼は五輪代表を離れて帰国する。昇格に向けて厳しい戦いが続くセレッソは、北朝鮮戦の4日後に福井での京都サンガ戦を控えており、この試合に合流しなければならなかったからだ。

 ところが、慌しく帰ってきたデカモリシを待っていたのはベンチだった。2対1とリードした83分、ようやく出番が与えられたが、あっという間に試合は終わった。

 「中国では、調子悪いって言われた五輪代表の中で、1試合だけでもいい動きができたんです。あと2試合、五輪代表でやれたらって思いながら日本に帰ってきたら、時間稼ぎみたいなもんすよ。あんな使い方されたら、ほんと凄く悔しいから」

 さすがに傷ついた。翌日になっても怒りは収まらず、ミーティングで不貞腐れていたら、スタッフにこっぴどく叱られた。

 「“お前、あの態度は何なんや。監督はそういう態度は絶対見てんぞ、我慢しろ”ってキツく言われました。カナダから帰ってきたとき天狗にならんとこって思ったのに、謙虚になれんかったって反省しました。カナダに行って浮ついて、五輪代表に呼ばれてまた浮ついちゃったという部分があって……」

 カナダで結果を出して人気者になったのに、帰ってきたらJ2の控え……。この落差を素直に受け入れられなかったとしても、無理はない。まだ10代の若者なのだ。

「まだ若いんだから、焦らず自分を高めなきゃ」

 デカモリシの胸中には、いま焦りが渦巻いている。世界を経験して五輪への思いは一段と強くなった。そして、最終予選は刻一刻と迫っている。しかし、彼はセレッソでピッチに立つこともままならない。

(以下、Number686号へ)

森島康仁
北京五輪
オリンピック・パラリンピック

サッカー日本代表の前後の記事

ページトップ