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マイケル 速球なんていらないね。 

text by

出村義和

出村義和Yoshikazu Demura

PROFILE

posted2006/08/17 00:00

 クローザーといえば、150kmを超える剛速球で相手をねじ伏せるパワー投手というのが、定着したイメージである。マイケルは、その代表格クルーンとは対極に位置するような特異なクローザーだ。サイドスローから繰り出すファストボールの最速でも146km。決め球は大きく曲がり落ちるカーブである。また、2歳のときに日本人の父親、オーストラリア人の母親とともにオーストラリアに移住し、アメリカ留学を経て、メジャーでプレー、その後日本球界入りするという経歴も投球同様にユニークだ。マイケルはいかにして、その特異性を身につけたのだろうか。

──まず、3勝1敗25セーブ、防御率2.55(8月3日現在)という素晴らしい成績を残している好調の要因から伺いたいのですが。

 「日本野球のやり方とかシステムに慣れて、コンスタントな力を発揮できるようになったことでしょう。昨年は1年目ということで、新しい環境に順応しなければならなかった。日常的な小さなことでも、プロとしてやっていたアメリカとは違う。例えばアメリカの場合、リリーフ投手は試合が始まるときに全員ブルペンに入っているのですが、日本では開始時に誰も入らない。最初はどうしていいかわからなかった。そういった違いに戸惑って、慣れるまで快適とはいえなかったですね」

──打者に適応する必要もあったわけですね。

 「松中さんのようなパワーヒッターもいるけれど、日本の場合、ラインナップの半分ぐらいは1番打者のようなタイプの選手が並んでいる。とても俊敏で、うまく当ててくる。そういう打者を抑えるのはタフですよね。だけど、今は相手打者に惑わされないように、1回、1回、ひとりひとりの投球に集中するように心がけています。そういうことができるようになったのも、いい成績に繋がっていると思いますね」

──独特のサイドスローですが、それは野球を始めた頃からの投法ですか。

 「いいえ。小さい頃はもっと肘の位置の高いオーバーハンドで投げていました。オーストラリアではグラウンドにも、指導者にも恵まれていなかったので、本などで投げ方を学びました。僕が投手になったのは13歳か14歳の頃で、それまでは主に二塁手。オーストラリアでも一番うまい選手が投手をやるので、僕はどうしてもなりたかったんです。で、オーレル・ハーシュハイザー(主にドジャースで活躍した名投手)の投球フォームを参考にして、投手の基本を学びました。だから、オーバーハンドで投げるようになった。当時は、ほとんど教科書通りのフォームといってもいいかもしれません。

 ボールも速かったですよ。ツインズと契約した頃には平均で148km、最速で152kmぐらい出ていました。オーストラリアでは一番速かったかもしれない。でも、マイナーでロングリリーフを任され、毎日のように投げていたら、球速が落ち始めてきた。マイナー2年目には一時スピードは戻ったのですが、肘に異常を感じるようになり、ある日ウエイトトレーニングをやっていたら、割り箸が折れるような音がして、右肘の骨がポキッと折れてしまった。そこからですね、僕の投げ方が変わったのは」

──回復には時間がかかったでしょうね。

 「ボルトを入れる手術をしたのですが、その翌年のスプリングトレーニングの頃までは痛くて、まともに投げられるようになったのはシーズンに入って2カ月過ぎた頃でしょうか。僕の投げ方が今のようなサイドになったのは、そこに至るまでの間に変わったのです。当初は痛くて上から投げられなかった。それで、横から投げ始めたわけです。オフの間、父とキャッチボールをしていたのですが、そのとき握りをみられないように、ボールを隠す練習も同時にしていた。そういう練習を繰り返すうちに、父から打者にはボールが見づらくて、まるでボールがシャツから出てくるみたいだといわれたんです。本格的にサイドスローに転向したのは、そのときからですね」

──骨折の影響というのは今もあるのですか。

 「いいえ。全くないですし、以前のように上からだって投げられますよ」

──元のようにオーバーハンドで投げようとは思いませんか。

 「サイドからの方が快適だし、誰も僕のように投げていない。僕だって、日本の他の投手と同じような投げ方をしたいとは思わない。この投球フォームこそが自分なんです。それに、速いボールを投げるということにもこだわっていない。自分独自のユニーク性を大事にしたいと思っています」

投球の組み立ての軸はカーブの出し入れ。

──ユニークといえば、決め球の大きなカーブ。いつ頃から投げ始めたのですか。

 「確か、10歳か11歳の頃です。実は握り方は今でもあの頃と同じなんですよ。もちろん、練習していくうちに、力の入れ具合など多少の変化はありましたが、握りは上から投げていたときも含めて、基本的に変わっていないですね」

(以下、Number659号へ)

M.中村
北海道日本ハムファイターズ

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