Sports Graphic NumberBACK NUMBER

谷間に咲いた信頼。 

text by

藤島大

藤島大Dai Fujishima

PROFILE

posted2004/07/29 00:21

SPECIAL FEATURES

[石垣島合宿に思う]谷間に咲いた信頼。

熱帯の葉が風にこすれる。

 野太い蝉の声。レモン色の花。日傘の影。雲は白く、うんざりするほど空は青い。

「ひえーっ」。男どもは奇妙な裏声を発した。まだ走らされるのか。

 山本昌邦監督がすかさず切り返す。

「曽ヶ端がもっと練習したいって。オーバーエイジのいうことは聞かなくちゃな」

 みな、少し笑う。

 愉快そうな光景なのに、どこか切ない。

 つまりクラスルームの残酷のような何か。

 ひととき運命をともにして、好き、嫌い、その中間、さまざまな感情のこんがらがったまま人間と人間は近しくなる。やがて、勉学に運動に音楽に、それぞれの才能は必ずしも平等ではないのだと知る。

 終わりのない学級は世に存在しない。いつかは無人の机が並ぶだろう。卒業とは選別の時間でもある。

 なにかと先輩に比べられたりもしたけれど、少なくとも、同世代の最高の才能は集った。そのつど目の粗いふるいにかけられては、ぐっと踏ん張って、とうとうアテネ五輪出場権をつかみとった。

 では、うるわしき南国のリゾート、石垣島における国内最終合宿こそは選ばれしオリンピアンの楽園なのか。そうではなかった。

 五輪代表は18人である。ここにいるのは、オリジナルの25人に加えて、オーバーエイジ枠の曽ヶ端準、高原直泰のふたり、さらに遠くオランダでは小野伸二が招集に備えている。

 なお淘汰は待ち構える。

 眼前、横一線に並んで、片膝を宙に回しては股関節の稼動を滑らかにする愛すべきサッカー選手、このうちの誰かと誰かと誰かは、次の集合日には不在なのだ。

「おい、高松と相太、どっちが勝ったか教えてくれよ」

 指揮官は、わざと明瞭な発音で担当コーチに叫ぶ。

 高松大樹と平山相太。鈴木啓太と前田遼一。今野泰幸と阿部勇樹。森_浩司と根本裕一……。サーキット練習では、意図的に、ポジションごとの好敵手が組まされている。

「ライバルを意識した切磋琢磨の合宿」

 松井大輔はテレビ用の会見で言った。

 奇術のごとく足元に球を吸いつける技巧派に「切磋琢磨」の漢字の並びは似合わない。でも本当にそうなのだろう。

 夜の部の練習を終えると、即席のエリアで、気のいい選手たちが記者の群れに身を差し出してくれる。つい「メンバーがらみ」の質問は重なりがちだ。

曽ヶ端選手の参加に危機感は。

「特にないです。最後のチャンス、死に物狂いでやるだけ」(林卓人)

オーバーエイジ組とのコミュニケーションは。

「少し話す程度」(阿部勇樹)

小野伸二について。

「海外でレギュラー。経験は大きいと思います」(同)

メンバー発表が近づいてますが。

「毎回、毎回、そういう雰囲気は続いてますから。自分の持ち味を出すだけ。まわりを気にしてもしょうがないんで」(石川直宏)

 総じて、言葉は弾まない。

 当然だと思う。アテネの神殿にたどりつきかけて、まさに生き残らんとする当事者が、おのれ以外に関心を抱くものか。

 平山相太のテレビ会見では、こんな問答もあった。

高原選手には話しかけないのですか。

「はい」

なぜ。

「わかりません」

ホテルから見える海で心を和ませていますか。― 

「……」

 長い間があいて。

「はい」

 断言できる。この優しい草食動物のような風貌の大学フレッシュマンですら、他者に、まして海に深い関心などありはしない。

高原選手とプレーすることについては。

「自分のプレーをしたいです」― 

 聞く側には「段取り」がある。もしかしたら監督のさわやかな弁舌にも「計算」は隠されている。しかし、無慈悲な競争の渦中にある若き勇士たちは、ひたすら「いまここ」に呼吸するだけだ。

 高原さんが入ったら、誰がこうなって、誰はこうなって、俺はラインの外へ弾かれる。伸二さんは決まりだから、こうこうこうで、俺の出番は消えそうだ。

 少しは頭をよぎるかもしれない。でも、それ以上、思い悩んだら、ピッチの気温が39度にもなるキャンプを乗り越えられない。動く足だって動くまい。

「そこまでは考えないようにする」

 生存のための秘訣のひとつである。

 いやでも、自分の刻んだ長い道のりに対する審判は下るのだ。

 2002年、9月11日。当時のU-21代表は、ジュビロ磐田との練習試合に挑んだ。

 0-7。しかも35分ハーフ。

 ジュビロがレギュラーの布陣を敷いた前半は、なんと0-6である。前半20分までに4失点を喫した。スタンドで観戦のジーコが怒ったかは定かではない。ただし退屈ではあったろう。

「どうやって攻めていいか分からなかった」

 いまをときめく田中達也のつぶやきがスポーツ紙に残されている。

 全体の練習は、短い合宿に、複数の主力を欠いた上海遠征を合わせて10日ほどだった。だから、Jリーグの王者を向こうに、ありうる結末なのかもしれなかった。

 しかし、評価は冷淡だった。この年代には突出した個性が欠けている。なんだか覇気も薄い。いきなりの惨敗に「さもありなん」の雰囲気もなくはなかった。

 U-17代表として世界大会出場をかけた予選を勝ち抜けていない。 '01年、アルゼンチンでのワールドユースは、1勝2敗で予選組敗退。どうしても、高原、小野、稲本潤一ら「黄金世代」との比較では分が悪くなる。

ページトップ