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最終回 特別対談・小野喬×岸本健 「日本スポーツ界を革新するために東京五輪を!」 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byPHOTO KISHIMOTO

posted2009/09/25 11:30

最終回 特別対談・小野喬×岸本健 「日本スポーツ界を革新するために東京五輪を!」<Number Web> photograph by PHOTO KISHIMOTO

メダル至上主義を捨て、スポーツ文化の向上を。

──さて、2016年の開催都市決定まであとわずかとなりました。東京都は2度目のオリンピック招致運動を展開していますが、どのようにその活動を見ていますか。

小野 まず先にお話したいのは、東京五輪後に引退して私が取り組んだのはスポーツクラブの設立だったということなんです。

岸本 今でこそ「地域に密着したスポーツクラブ」という考え方は一般的になり、実際、そうした動きも盛んですが、小野さんの活動はその先駆けでしたね。

小野 現役時代、ヨーロッパ遠征が多かったのですが、向こうではどんな地域にもスポーツクラブがあって、そこでは選手も一般の会員の人たちも一緒にスポーツをして楽しんでいました。地域のコミュニティなんですね。そして選手が代表に選ばれれば、クラブがその地域の会員と一丸となって費用を捻出する。当時の日本にはスポーツをする環境が、学校と実業団しかなかった。日常生活にあるスポーツの土壌が根本的に違うんです。海外遠征で一般の人も選手と一緒にスポーツを楽しむさまをみて、日本にもこうしたあり方を根付かせたいと、クラブを立ち上げたのです。
だから、2度目のオリンピックを招致するにあたって望むのは、スポーツの土壌をもっと地域と日常生活に根付かせる、スポーツのよさをもっと広める機会になってほしいということなんですね。

岸本 東京都は「環境にやさしいオリンピック」をテーマに掲げていますね。世界に発信できて、それが大会後に世界の大きな流れになるとしたら重要なことではあります。

岸本健氏と小野喬氏

ふたりの後ろに見えるのは、実際に東京五輪で使用された五輪旗。岸本氏(写真右)曰く「東京五輪当時の小野さんはあまりに人気がありすぎていつも周りは黒山の人だかり。恐れ多くて近づけないくらいの、憧れの選手でした」
撮影協力:日本スポーツ振興センター「スポーツ博物館」

小野 そのとおりです。でもそれだけじゃなく、スポーツに対する日本人の意識がもっと根本から変わるような大会にするべきではないでしょうか。そもそもオリンピックの思想そのものが、東京五輪以降でどれだけ伝わってきたのか……。若者の文化交流はもちろん、国際間の平和な関係をつかさどる交流なのだということを国全体が意識するべきではと、そんな重要で根本的な精神がもっと伝わるようになればいいなと思っています。金メダルがどれだけ獲れるか、というような競争の側面だけを見るレベルでの関心だけが高いのはちょっと心配ですね。
スポーツの良さを知り、それを全国の地域コミュニティに位置づけることで人生も社会も豊かになれる。高齢者社会に突入し、医療費、介護費の増大もさかんに議論されていますが、スポーツをすることは健康にも役立つので国の負担減にも繋がるはず。そうした視点があっても実際いいでしょうし、東京での2度目のオリンピック開催はうってつけの契機ともなるはずです。

岸本 まったくそのとおりですね。1964年の大会で私が実感したのは、オリンピックは世界を知る場であり、交流の場であるということでした。これは東京大会にかぎった話ではありません。どの大会もそうです。その影響は、全国隅々にも影響が出るほどです。だから2016年、東京でオリンピックが開催されれば、東京が、日本が新たな社会に変わる機会にもなる、そんなふうに思っています。

──招致によって、スポーツ環境も含めて、新たな段階に進む可能性があるかもしれないということですね。

小野 かもしれないではなく、進めなければいけない、そう思います。

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