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NFL最年少優勝監督、マイク・トムリンが教える「組織を守る改革術」 

text by

生島淳

生島淳Jun Ikushima

PROFILE

photograph byAFLO

posted2009/10/22 11:30

 NFLにおける名門中の名門であるピッツバーグ・スティーラーズで、チーム史上初めてのアフリカ系アメリカ人のヘッドコーチに就任したのが34歳。
マイク・トムリンはその2年後の昨季、ついにスーパーボウルを制した。彼の成功にみる「最新のリーダー論」とは?

 ついに30代のヘッドコーチがスーパーボウルを勝つ時代になった。

 昨季、ピッツバーグ・スティーラーズを6回目の優勝に導いたマイク・トムリンは、まだ36歳という若さで頂点に立った。

 大学卒業後、すぐさま母校のコーチとして指導者のキャリアをスタートさせたトムリンは、29歳でNFLのコーチの仲間入りをする。当時、コーチを務めたバッカニアーズの選手の半分以上は彼よりも年上だった。

 そして'07年、トムリンに大きなチャンスが訪れる。面接の結果、スティーラーズのヘッドコーチに選ばれたのだ。

 スティーラーズといえば名門中の名門、雇用に関しては保守的な色合いを持っていた。前任者のビル・カウアーは15年間で1度の優勝、そのまた前任のチャック・ノールは23年間の在任中に4回の優勝。いずれも長期安定政権を実現した名将である。

 よって要求される水準は高く、当然のことながら黒人のヘッドコーチが指揮を執ったこともない。やり甲斐はあるが、ストレスフルな環境であることは間違いなかった。

扱いづらい老コーチをトムリンはあえて重用した。

 就任当初、トムリンはまだ34歳。若手のコーチの最大の課題は「アジャストメント」、成功している組織に、いかに適応するかが成否の分かれ目となる。

 最初の問題は人事だった。トムリンはディフェンスの専門家だったから、当然、ディフェンス・コーディネーターに自分のお気に入りの人物を登用すると思われていた。

 カウアー政権下でのコーディネーターは当時、69歳のディック・ルボー。専門的な話になるが、ルボーが得意とするシステムは3人のラインメンに、4人のラインバッカーを置く「3-4」。しかしトムリンはその逆の「4-3」のシステム。ルボーは「ブリッツ」と呼ばれる相手クォーターバックに攻撃的に襲いかかる戦術を好んだが、トムリンはブリッツを多用しないコーチだった。

 ルボーとトムリンは、ディフェンスに対する発想が違ったのである。

 トムリンにしてみれば、仕事上の哲学が違い、30歳以上も年上の人間と一緒に仕事をするのは面倒だと考えても不思議はない。ところが――。

 トムリンはルボーをスタッフに残した。その理由について、「自分にとって有益となる人の話には、積極的に耳を傾けるのが好きだから」と軽くいなしたが、「コーチ・ダッド」と呼ばれるほど選手に慕われていたルボーを切っては、かえって選手たちの反感を買ってしまう――そうした判断が働いたと思われる。

<次ページへ続く>

► 【次ページ】 戦術も前監督のものを流用。変化よりも安定を心がけた。

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