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“ドイツのオシム”は 浦和をどう変えるのか。 

text by

木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

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photograph byKai Sawabe

posted2009/02/12 00:00

“ドイツのオシム”は 浦和をどう変えるのか。<Number Web> photograph by Kai Sawabe

浦和レッズの監督候補としてフィンケの名前があがった時、情報はあまりに少なかった。スペクタクルなサッカーを展開し、育成に定評があるらしい……。
ついた渾名は、“ドイツのオシム”。一体、何者なのだろうか。ドイツ・フライブルクに彼を訪ねた。

 1月上旬、フライブルクのアパートの一室で、私たちはフォルカー・フィンケに会った。昨季無冠に終わった浦和レッズが、再建を託した人物である。

 事務所に入ると、フィンケは慌しく資料を整理していた。数日後に迫った日本行きの準備に追われているのだ。ドイツサッカー協会のロゴが入ったファイルや、某クラブの育成レポートなど、重要書類を丁寧にソファーの上に並べている。もしこの全てに目を通せば、すぐに近代サッカーの専門家になれるだろう。

 フィンケは知る人ぞ知る、ドイツの理論派監督のひとりである。42歳のときに高校教師を辞めてプロ監督になり、地方の小クラブだったフライブルクをわずか2年で1部に昇格させた。その余韻覚めやらぬ'94-'95シーズンには、無名選手ばかりのチームをまとめあげ、1部の3位になるという快挙をやってのけた。16年に渡ってフライブルクを率い、もちろんこれはブンデスリーガの最長記録だ。

 資料整理の手を止めて、フィンケがコーヒーマシーンのスイッチを入れた。どうやらインタビューの準備ができたらしい。

「これは私が浦和の監督になってから受けた、初めてのインタビューだ。さあ、記念すべきインタビューを始めようじゃないか」

 フィンケはイスにどかっと腰を下ろすと、60歳とは思えないほどにエネルギッシュな声を腹の底から出した。

――まずフライブルク時代について、聞かせてください。あなたは地方クラブのフライブルクを一人前に育て上げ、UEFAカップに2度出場し、1部昇格も3度果たしました。どうやって改革した?

「私がフライブルクに来たときは何もなかったが、長い時間をかけて、スタジアムを改築し、ピッチを増やし、チームの基盤を築いた。我慢強く育て、無名の選手に成功をもたらせたと思っている。1部でいい成績を残すたびに、選手を引き抜かれたが、私はその状況を受け入れた。なぜなら移籍すれば選手の給料は2倍になり、一方でクラブは移籍金を手にして施設に投資できる。そんなウィン・ウィンの関係を作ることができたんだからね」

――フライブルクから巣立った選手を見ると、おもしろい共通点があります。'06年W杯に出場したドイツ代表のケール(ドルトムント)、グルジア代表のコビアシビリ(シャルケ)やドイツU-21代表のアオゴ(ハンブルガーSV)など、複数のポジションをこなせる、ポリバレントなタイプが多い。なぜでしょう。

「答えは簡単だ。もし、選手のポジションが固定されている2チームが対戦したとしたら、勝つのはどちらか。それは優れた選手が、多くいるチームだ。だから、もしスター軍団のチームに勝とうと思ったら、何か特別なことをしなければいけない。ひとつのポジションに固定されず、よりフレキシブルにプレーしなければいけない」

――ドイツでは、あなたはコンビネーション・フットボールの信奉者として知られています。戦術を説明してくれませんか?

「私はフライブルクでの16年間で、およそ5つのチームを作り上げた。結果を出すたびに選手を引き抜かれ、一からやり直さなければいけなかったからだ。ただし、常にコンビネーション・フットボールを目指したことに変わりはない。ポゼッションを好み、ショートパスで相手を崩す。これをできるかは走る量にかかっている。守備時にどれだけ走ってプレスをかけられるか。攻撃時にボール付近で数的優位をどれだけ作れるか、にね」

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