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キューバ&ドミニカ共和国
カリブ野球の魔力。 

text by

鉄矢多美子

鉄矢多美子Tamiko Tetsuya

PROFILE

photograph byTamiko Tetsuya

posted2009/03/12 00:00

アマチュア最強軍団と、メジャーリーガーが居並ぶドリームチーム。
優勝候補と目される両国だが、その素顔はあまり知られていない。
野球に取り憑かれた島々が辿った数奇な歴史と、独自の文化とは――。

「男の子はバットとボールを持って生まれてくる」

 2月、WBCに向けた取材でキューバを訪れたときのことだ。ハバナのホセ・マルティー国際空港に降り立ち、市内へ向かうタクシーに乗ると、ばかに運転手の機嫌が悪い。行き先もろくに聞かないまま、音声が途切れがちの野球中継に耳を傾けている。彼はハバナから800キロほど南東のサンチャゴ・デ・キューバで行われている試合の実況放送に夢中になっていた。ホテルまでの道中、いきなりスピードが落ちたかと思うと、そのうち路肩に寄って止まってしまった。「エンスト?」と聞くと「静かに」と制され、「今、サンチャゴがチャンスを迎えているんだ」と、まるで客のことなど構う様子はない。

 やがてそのチャンスもつぶれ、サンチャゴが敗れると、運転手はクソッとばかりにハンドルを叩き、一層機嫌の悪い表情になってホテルへと向かった。降りがけにわかったのだが、彼はサンチャゴ出身で、ヘクトル・オリベラ(WBC代表で若手の中心選手)の伯父さんなのだという。とはいえ、客を乗せたタクシーが、ひいきのチームのなりゆきに左右され、ついには車を止めてまでラジオの中継にのめり込むなど、普通は考えられない……。いや、「男の子はバットとボールを持って生まれてくる」と言い伝えられているこの国では、よくあることなのかもしれない。

 野球が国民生活に浸透しているキューバでは、試合に熱中するあまり我を忘れるタイプは少なくない。翌朝、ホテル近くの公園で10人ほどが輪になり、激論を交わしている光景からもそれはよくわかった。何やら騒いでいる彼らに耳を傾けると、前日の野球の試合で監督の采配が悪かっただの、選手の判断ミスだっただの、様々な分析を行なっている。政府公認の「ペーニャ・デポルティーバ」というスポーツを語る集会なのだが、口角泡を飛ばしあい、熱を帯びてくるとつかみ合いまで始まる勢いだ。よく見るとそうした議論を戦わせている輪がいくつもあって、いつ乱闘が始まるかわからない状況を警察も戦々恐々としながら見守っている。彼らはそうして朝から晩まで飽きもせず野球談義を戦わせるのである。この国は、「国民総野球評論家」なのではないか? と思ってしまうほど野球を熟知した論客で溢れている。

 こんなことにも驚かされた。あるとき、ハバナの球場でその日2三振を喫し、まったく精彩を欠いていた選手が打席に向かおうとしたとき、嵐のような拍手が送られた。その理由を聞くと、「彼はアテネ五輪の金メダル獲得に貢献したんだ」。代打で出てきた選手に今度はブーイングが浴びせられた。「彼はパンアメリカンゲームで大チョンボしたんだ」。

 試合中、こういう類の話がポンポン飛び出す。人々はその都度過去の功績に惜しみない賞賛を送り続け、怠慢なプレーには容赦しないのだ。なぜキューバの人々はこれだけ野球に対して熱くなれるのであろうか? その疑問を解く鍵は、この国の歩んできた歴史に隠されているような気がする。

 1492年にコロンブスの第一次航海でキューバ島が発見された際、先住民たちが木の枝を持って固い木の実を打つ「BATOS」というゲームで遊んでいたとスペインの歴史書には記されている。もちろん今のようなルールなどあるわけはなく、ただ投げて、打って、走ってという単純な遊びだったに違いないのだが、キューバ人はそれこそが野球の起源だと言い、だから世界に誇れる強さがあるのだと主張する。1839年にアメリカでアブナー・ダブルデーによって「野球」が発明される遥か前、太古の昔からすでにその原型があったというのだ。ちなみにキューバでは、国内で生産されるユニフォームや用具のすべてに「BATOS」のマークが入っていて、その「起源」を誇示している。

 そのバトスとは別に、現在のような野球のルールがキューバに伝わったのは1864年、アメリカに留学していたネメシオ・ギジョットが「ベースボールと言われるゲーム」を紹介したことに始まる。その10年後の1874年にマタンサス州で初めて公式戦が行われると、翌年にはハバナに初のプロチームが誕生、1878年には3チームによるプロリーグも生まれる。そして1890年代には75ものプロチームを有する野球大国へと発展していったのだ。しかし、キューバの野球は、政治に翻弄される運命を辿ることになる。

 当時、国内では「砂糖」を巡る混乱が起こっていた。1493年、コロンブスが第二次航海の際にカナリア諸島から持ち込んだサトウキビの苗は、全土に広がり、キューバの気候と相まって「カリブの砂糖壷」と言われるほどの生産高を誇るようになっていく。1870年代ごろから国内で砂糖需要が高まり続けていたアメリカは、キューバに目をつける。そして、キューバがスペインからの独立を企てて武装蜂起すると、アメリカは利権を狙って介入し、内戦が繰り広げられた。

 長引く戦いの中で、スペイン当局がつとに恐れていたものがある。ネメシオ・ギジョットによってキューバに伝えられた野球だ。人々が集合して行われる野球は当局に警戒され、「ゲームそのものがスペイン統治に対する独立派の抗議」だと見なされて、野球選手や関係者は激しい弾圧を受けることになった。

 そんな国内の混乱に嫌気がさした一部のキューバ人は、ドミニカ共和国、プエルトリコ、メキシコ、ベネズエラなど近隣諸国へ逃げ出した。その中には野球選手も多く、このときサトウキビの栽培技術とともに「キューバではこんな面白いゲームが行われている」と各国に伝えられたのが「野球」だった。

政変を経た両国の野球は、正反対の道を辿った。

 キューバの南東に位置するイスパニョーラ島の東部3分の2を占めるドミニカ共和国。キューバ人によって伝えられた野球は、この国で紆余曲折を経ながら大きな発展を遂げた。今では、メジャーリーグを席巻するほど多くの選手を輩出するカリブ一の野球王国になっている。2008年開幕時にメジャーに登録されていたドミニカ共和国出身選手は88人。ビッグネームは枚挙にいとまがない。

 今でこそスーパースターを世に送り出し続けているドミニカ共和国だが、この国の野球が現在に辿り着くまでには、不幸な出来事も多々あった。

 (続きは Number724号 へ)

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