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清原和博 ~完全復刻版インタビュー~
「僕の原点甲子園 忘れ得ぬ三度の挫折」 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

photograph byDaisuke Yamaguchi

posted2009/08/14 11:30

清原和博 ~完全復刻版インタビュー~ 「僕の原点甲子園 忘れ得ぬ三度の挫折」<Number Web> photograph by Daisuke Yamaguchi

1989年にナンバー誌上に載った清原和博の『僕の原点甲子園』。
プロ4年目にして日本一も既に手にしていた清原が、弟・幸治がプレーする母校PL学園のグラウンドを訪れる。
清原にとって甲子園とはどういうものだったのか? 3年間の想い出を詳細に語った貴重なインタビュー。

「まわり道をしていこうか」

 清原和博は、オールスター第2戦が行なわれる藤井寺球場に向かう道すがら、こんなことを言った。7月26日のことである。

 この日弟・幸治が主将をしているPL学園は、近大附属高と対戦していた。その結果が気になって仕方がない様子である。車は環状線から富田林にあるPL学園に向けられた。

「試合前、PL学園に行くなんて、今日は何か打てそうな気がするな」

 車が学園に近づくにつれ、ふだんは減多なことで自分から口を開かない男が、少年のように能弁になって来た。

 この雲、この緑、思い出すなあ、桑田はいつも近くのゴルフ場を走っていたけど、ボクはいつも御正殿前の広場を走っていた。そん時、見ていた雲と同じ形の雲なんだ。同じ緑の匂いなんだ。高校時代を思いだすなあ。ところで幸治たちはどうしたろうか。

 PL学園の広場では、7月31日に行なわれるPL教の大花火大会の準備が、進められていた。

 甲子園に出られない年は、花火大会が終わってから、ゴルフ場のゴミ集めをするんだ。だけど、予選に勝っている年はそれが免除になる。打ち上げられる花火を見て、ああ、甲子園に今年もいけるんだと何度も思ったよ、たまらない嬉しさだね。

弟の幸治を甲子園に行かせたい。なぜなら……。

 清原は3年間、一度もゴミ集めをする経験がなかった。彼が見た花火は、いつもきれいで華麗な心安まる花火だった。

 大会予選が行なわれているため、人っ子一人いないグラウンドに来た。彼はネット裏にある水汲み場で立ち止まった。

「ファウルボールを拾いに行って、先輩の目を盗んでは、よくここで水を飲んだ」

 4年前の青春の一コマ一コマが、清原を童心に戻していたのかもしれない。じっとグラウンドを見る眼は、17歳の少年のそれであった。

 幸治を甲子園にいかせたかったんだ。兄貴が出たからとか、大学にその方が行きやすいとかそんなことではないんだ。ボクが経験した甲子園というのは、その一回ごとが、全部新しい経験だった。出るたびに野球を学ぶことが出来たと思ってる。その経験というのを弟にも味わってもらいたかったんだ。

 甲子園に出られなかった人は、その侮しさをパネに野球に励むってよく言われるけれど、ボクはそうじゃないと思う。あそこに出た時の緊張感というのは、中途半端ではないものね。ボクは初めて甲子園に出場した1年の夏に、神経性の下痢にかかった。バスが甲子園に近づくと、極度の緊張で下痢をしてしまうんです。だから球場入りして一番に飛び込んだのは、ベンチに向かう通路のワキにある便所。それほど怖しかったんです、甲子園でプレーをすることが――。1年生から4番を任されたという重責もあったと思うんだけれど、でっかいなあと思うより前に、怖さの方が印象に残っている。そういう経験っていうのが、今のボクを支えてくれていると思うし、これは何物にもかえられないものなんだ。

 今考えると、甲子園に出るまでのボクは、チャンスを何度か与えられて、それを確実にものにして来たんです。テストされていたんだなあと思いますけど、春季大会や練習試合で打って、確実に結果を出していましたよ。

ピッチャーとしての挫折が清原の心に傷をつけた。

 それはいいんだけれど、レギュラーになった1年の6月ぐらいだったかな、ピッチャーの練習はもうしなくていいと言われた時は、ものすごくショックでした。体が大きいので早くから、レギュラー組の中に入って練習をさせてもらっていたのです。1年生では、ボクと田ロだけだったですかね。中学時代から4番でエースだったし、それに憧れていた。なのに、ピッチング練習はいいというのは、投手としてはダメだっていわれたようなもんでしょ。ショックですよ。そりゃ、自分でも打者としての方が素質があるとは思ってましたよ。でも簡単に失格だって言われるとね。入学した時は、ポクの方が桑田よりスピードがあったんだもの。

 それでも、まだどっかでピッチャーにこだわっていたんだな。バッティング投手だけは一日も欠かさずやっていた。三振なんてとると“どうだ、ボクの球は速いだろ”って、胸張っちゃったりして。誰も誉めてはくれなかったけれどね。PLでは投手は、自分達の調整があるから、余り紅白戦で投げないんです。PLの紅白戦っていうのは、下手な練習試合をするよりも、ずっと激しいんですよ。いつも逆転、逆転だったですからね。負けたチームの方が、点差によって、グラウンドを走らされるんだけれど、その紅白戦のエースは、いつもボクだった。

<次ページへ続く>

► 【次ページ】 清原はピッチャー失格なのに、体の小さい桑田が残った。

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