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中村憲剛 フロンターレの特別な一年。 

text by

猪狩真一

猪狩真一Shinichi Igari

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posted2007/11/29 00:13

SPECIAL FEATURES

[挫折と再生の物語]中村憲剛 フロンターレの特別な一年。

猪狩真一=文

text by Shinichi Igari

 誰にとっても、どんなチームにとっても、特別な一年というものはある。その後たどっていく道程に決定的な影響を与えるような、新たな経験に向き合い続ける一年だ。

 今年がどういう年になるのかはやってみないと分からなかったし、想像もつかなかったと、中村憲剛は、開幕前の心境を振り返る。

 川崎フロンターレが、'05年のJ1再昇格からわずか2年でつかみ取った、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権。クラブとして初めて、タイトル奪取を現実的な目標として掲げた彼らは、ACL、リーグ戦、ナビスコ杯という狙えるタイトルすべてを、優先順位をつけずに全力で奪いに行った。そして、いまやチームの顔と言うべき存在となり、ゲームキャプテンも務めることになった中村個人にとっては、1年を通して日本代表の戦いにも参戦する初めての年になった。

 「もうこれ以上のハードスケジュールはないってぐらいサッカーやってますからね。この先、どんな苦しいときも、今年を思い出せば、チームとしても個人としても、絶対にやれる。本当にいろんなことを考えさせられたシーズンだったし、いっぱいいい経験をさせてもらった。それを自分で考えて噛み砕いて、実にしていかなきゃいけないって思う」

 未知の冒険に挑む喜びと、頂点に肉薄したがゆえの身を焦がすような悔恨。中村と川崎フロンターレにとっての'07年は、感情を激しく揺さぶる起伏に満ちていた。

 早春。滑り出しは上々だった。

 ホーム等々力での開幕戦で鹿島を下し、その足で旅立ったインドネシアでは、記念すべきACLの初戦、アレマ・マラン戦を勝利で飾った。ホームでのACL2戦目で、格下のバンコク・ユニバーシティにドローに持ち込まれるという番狂わせもあったが、リーグ戦では、G大阪と緊迫のドローゲームを演じ、浦和には敵地で2-1と勝利した。ACLのグループリーグにおける最大のライバルだった全南にも、アウェー、ホームともに完勝。4月までのチームに不安の影はなく、中村の心にも明確な自信があった。

 「ガンバ、全南、エスパルス、レッズ、全南、ジェフと続く(4月の)連戦は、最初にスケジュールを見たときから、踏ん張りどころだって話はしてました。でも、この頃はうちの戦い方がしっかりできてたし、やってて負ける気がしなかった。強い相手ばっかりだから、『もし負けたら』ってことは常に考えてましたけど、その危機感がみんなをいいプレーに導いていたのかなとも思うし」

 しかし、5月19日のリーグ戦・大分戦に敗れたときから、苦闘の日々が始まった。

 続く大宮戦から4戦連続のドローを演じ、折り返し地点の17節・磐田戦では鋭いカウンターに沈んだ。気がつけば、当時首位だったG大阪との勝点差は13にまで開いていた。

 「あっという間に時間が過ぎていった感じでしたね。あの頃は毎試合メンバーが入れ替わり立ち替わりで、ちょっと呼吸が合わなかったり、ちょっとしたズレが多くなったりしてた。誰が悪いってことじゃなくて、何かちぐはぐしてるというか、うちっぽくないなって」

 受けた治療がドーピング規定に抵触したとして、我那覇和樹が戦線離脱を余儀なくされ、エースのジュニーニョは、大分戦での退場も含めて3試合に欠場。そして、マギヌン、谷口博之、寺田周平といった選手たちが立て続けに負傷した。'04年に関塚隆監督とともにやってきたマルセロ・フィジカルコーチの就任以降、練習の量と方法を巧みにコントロールされ、極端にケガの少ないチームになっていた川崎にとって、これほど故障者が続出するのは異例のことだった。

 「ケガには仕方のない部分もある。しっかりトリートメントしていてもするときはするし。でもいま思えば、ACLで知らない相手と戦ってきて、重圧的なものがあったのかもしれない。その反動が出てたのかな」

 この時期は、中村個人にも思わぬ火の粉が降りかかっていた。日本代表のモンテネグロ戦で、オシム監督が中村のシュートミスについて触れ、フリーの味方に出すという選択肢もあったと指摘。するとその後のリーグ戦でも、オシム発言によって中村のシュートの意識に迷いが生じているのではないかといった報道がなされるようになったのだった。

 仕方がないこととは思いながらも、中村はそこにジレンマを感じずにはいられなかった。

 「俺のなかでは解決してたことだったんですよ。交代したときにオシムさんともその話はしていたし。でも、次の日に新聞を見たら、『憲剛にダメ出し』みたいな感じになってて。それが影響したって言われれば、そりゃするだろうとは思いますけどね。人間なんだし。だけど、プレーしてるときはそんなこと忘れてるし、それで俺が躊躇したような場面を『あのとき言われたからだ』みたいにされたのはすごいシャクだった。自分の言葉がうまく通じてないなって」

 だが、そうした視点からの報道も、川崎が勝ってさえいれば記事にはならなかったろう。すべては、チームの不振に根があった。

勝てない試合が続くなか、食事会に選手全員が集った。

 選手たちは、悪い流れを断ち切ろうと懸命だった。キャプテンの伊藤宏樹が中心になって、タイミングを見ては選手同士で話し合い、意見をぶつけた。磐田戦の後にも、伊藤が声をかけ、選手全員での食事会が開かれた。そこでは誰も、サッカーの話は口にしなかった。

 「宏樹さんも、何かやらなきゃいけないって思ったんだと思う。場を共有するっていう意味では、すごくいい時間だった。みんな口には出さなかったけど、次は絶対に勝たなきゃいけないってことは分かってたから」

 その試合が、アジアカップによる中断前の最後のリーグ戦、ホームでの神戸戦だった。

 内容は決して良くはなかった。むしろ主導権を握っていたのは神戸だった。そして試合は1-1の同点のまま最終盤を迎える。

 ロスタイム、等々力は一瞬で沸騰した。中村が蹴り込んだアーリークロスを谷口が頭で落とし、鄭大世がゴール前へ。そこに走り込んだのはジュニーニョだった。彼が身体ごとねじ込んだ泥臭いゴールは、7試合ぶりとなるリーグ戦での勝利をチームにもたらした。

 試合終了のホイッスルが鳴り響いたとき、中村の頬を、自然と涙が伝っていた。勝って泣くのは初めてだった。

 「やっぱりね、キツかったらしい。精神的に。泣くっていうのはそれだけのことでしょうね。どこにでも応援に来てくれたり、勝てなくてもあったかい応援をしてくれてたサポーターにすごく悪いと思ってたし、それに報いれたのは本当に良かった。あれはスタジアムが勝たせてくれたようなもんですよ。(クロスを入れれば)何かあるかなって思ったし、そういう空気があった。こういう瞬間があるからやめられないんだなって。スタジアム全体で喜びを共有できた気がして」

 中村は、わずかに心を軽くして、アジアカップへと旅立っていった。

(以下、Number692号へ)

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