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MLBの底辺拡大戦略は日本に何をもたらすのか? 

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柳橋閑

柳橋閑Kan Yanagibashi

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posted2009/06/22 10:00

MLBの底辺拡大戦略は日本に何をもたらすのか?<Number Web>

近年、あらゆるスポーツ団体が子どもたちへの普及活動、マーケット開拓に力を入れているが、なかでもアメリカ・メジャーリーグ機構が主催する「MLB Pitch Hit & Run」は、全米で60万人の参加者を集めるなど、もっとも成功している事例のひとつである。このプログラムが日本に導入されて3年目。北海道・札幌ドームで行われたイベントを取材し、MLBのインターナショナルな普及戦略の狙いを探った。

MLB Pitch Hit & Runとは?

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Pitch(右上)はストライクの個数、Hit(右下)はティーバッティングの方向と飛距離、Run(左)は走塁のタイムで競う。

 スポーツを普及させ、ファン層を幅広く開拓していくカギは子どもにある──それはスポーツに関わる人間なら誰もが意識していることである。しかし、アメリカにおけるスポーツ・マーケティング活動や、ヨーロッパにおける文化的なアプローチに比べると、日本における子どもたちへの普及活動はまだ質・量ともに充分とは言いがたい状況にある。

 とくに野球に関しては、従来の人気にあぐらをかき、普及活動を怠ってきた感が否めない。野球の競技人口とファン数が長期低落傾向にあるのは、サッカーに押された影響というよりも、自助努力のなさに起因しているのではないだろうか。

 じつはアメリカ・メジャーリーグでも1990年代以降、選手のストライキ騒動などの影響から、アメリカ国内での人気にはかげりが生じてきた。そうした状況への危機感から、長期的な視点での底辺拡大を狙ってスタートしたのが、子ども向けの野球体験イベント「MLB Pitch Hit & Run」である。

 現在、全米では60万人が参加。各地区の予選を勝ち抜くとMLBオールスターゲームに合わせて開催される決勝大会に出られるということもあって、ベースボール・キッズにとっては憧れのイベントとなっている。

 国内での成功に自信をつけたメジャーリーグ機構は、この普及戦略をインターナショナルに拡大していくことを決定。日本では2007年から年1回のペースで開催してきた。そして、第3回大会となる今年は、5月24日に北海道・札幌ドームで800人の子どもたちを集めて行なわれた。参加資格があるのは7~14歳の少年・少女で、野球経験はなくてもかまわない。むしろ、このイベントを通じて野球を知り、MLBに興味をもってもらいたいというのが主催者の意図である。

 競技は野球の基本となる投球(Pitch)、打撃(Hit)、走塁(Run)の3種目で行なわれる。投球ではストライクゾーンの形に穴が空いたターゲットめがけてボールを投げ、コントロールを競う。打撃はティーバッティングで打球の飛距離と方向性を判定。走塁では2塁分を走りタイムを計測。それぞれ点数化して、合計点で順位を決めるという仕組みだ。2歳ごとに分かれた4クラスそれぞれの優勝者とその保護者には、MLB観戦ツアーなどの賞品も待っている。

「一人でも多くの子どもたちにベースボールを好きになってほしい」

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MLBジャパンのマネージング・ディレクター、ジム・スモール氏。敏腕スポーツ・マーケターだが、子どもたちのキャッチボールの相手をするなど気さくな一面も。

 このMLB Pitch Hit & Run JAPAN 2009を主催するMLBジャパンのマネージング・ディレクター、ジム・スモール氏にイベントの意義や、子どもたちへの思いを聞いた。
「このイベントのよいところは、子どもたち一人ひとりがプロの使うスタジアムのフィールドに降りて、まるでMLB選手のような気分で1日を楽しめるというところにあります。現在ではアメリカと日本、さらにプエルトリコでも開催していますが、どの国でやってもこのイベントはとても人気があって、参加した子どもたちはみんな野球を楽しみ、満足そうな笑顔を浮かべています。その光景を見ていると、あらためて野球というスポーツのすばらしさを感じますね」

 たしかに、子どもたちはみんな満面の笑みを浮かべてプレーしている。マウンドに立ってダルビッシュのマネをしている子や、MLB選手が使っている道具の展示に見入っている子もいたりして、この機会をそれぞれ楽しんでいる様子が伝わってくる。
「最高のフィールドでプレーができて、優勝すれば、MLBの観戦ツアーにも行けます。これは子どもたちに、夢をもつこと、夢を体現することのすばらしさを実感してもらう機会でもあるんです。野球をあまりやったことのない子でも、投げる、打つ、走る、どれかは得意なものがあるはず。3種目という形式をとっているのは、みんなに平等にチャンスがあるということを知ってもらい、1種目でもうまくできたことをきっかけに、ベースボールを好きになってくれれば、という思いがあるからです」

 この中から将来のメジャーリーガーが出るかもしれない、と考えると、さらに夢は膨らんでいく。

「このイベントをきっかけにMLBを好きになり、メジャーリーガーをめざす子どもたちが増えてくれるとうれしいですね。もちろん、プロになるのはたいへんなことですが、ぜひ夢を追ってほしいと思います。そして、夢を追うプロセスも楽しんでほしい。ベースボールはプロセスで学ぶことの多いスポーツですから」

子どもへの普及活動の本質。

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上・札幌市白石区の白樺MBロジャースのキャプテン、今諒一くん(左)と、兄姉で参加した伊藤三佐也くん(中央)と伊藤千桜ちゃん(右)。両端はご両親の伊藤久美さん・翼さん。下・競技の前にはみんなでしっかりラジオ体操。

 MLB Pitch Hit & Runのプログラムがよくできているのは、3種目の競技だけで終わるのではなく、そのほかのアトラクションが充実しているところだ。スイングスピードコンテストやスピードガンコンテスト、キャッチャーフライ捕球コンテストなどに加えて、用具職人がボール縫いやバット削りを実演し、体験させてくれるブースもある。さらに、高速連写ができるデジタルカメラで子ども一人ひとりのティーバッティングシーンを撮影し、ボールを打つ瞬間の写真をプレゼントしてくれるといったサービスまであった。

 参加した子どもたちに感想を聞くと、「ランで転んじゃったけど、ピッチングはうまくいったよ。スピードガンコンテストもおもしろかった」「マウンドに立てたのが楽しかった!」「普段の練習よりもうまくいった。あとスイングスピードで96km/h出せた!」「バッティング写真がもらえたのがうれしかった」など、みんな大興奮で話してくれる。

 また、親や指導者向けには、MLBコーチがメジャーリーガーのピッチングのメカニズムと、育成年代の選手への指導法を解説してくれるベースボールクリニックや、料理研究家の先生が栄養バランスのよいレシピを紹介してくれるフードクリニックといったプログラムも用意されている。子どもだけでなく、いっしょに来た家族全員が野球を楽しみ、学べるように、さまざまな工夫が施されているのだ。

 取材をしていて、自分が子どものときにこんなイベントがあったらなあと、正直うらやましくなってしまった。もちろん、日本のプロ野球界でも、選手会や各球団が子ども向けのイベントや企画を充実させる努力はしている。しかし、プロ・アマ問題もあり、野球界が一丸となって大規模な普及活動を行うという流れはまだできていない。

 日本野球界が取り組むべきことをメジャーリーグにやってもらうのはいかがなものか? マーケットを奪われるのでは? という見方もあるだろう。しかし、広く野球の底辺拡大という視点で見れば、そして、札幌ドームに集まった子どもたちの笑顔を見れば、誰が主催するかにこだわるのは、あまり意味のないことのように思う。大切なのは子どもたちに機会を与えるということだ。野球人気の回復のためにも、このようなイベントがもっと拡大していくことに期待したい。

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