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NBA最優秀コーチ、マイク・ブラウンが示す「勤勉と忠誠の価値」 

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宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

PROFILE

photograph byNBAE/Getty Images

posted2009/10/23 11:30

 ほとんど無名に近い35歳の時に、クリーブランド・キャバリアーズのヘッドコーチに抜擢されたマイク・ブラウン。
そして就任した翌年……NBAファイナルにまでチームを導く。若き知将はレブロン・ジェイムスらスーパースターをどう操り勝利を手中にしたのか?

 マイク・ブラウンが試合前に必ずやることがある。アイロンがけだ。ホームゲームの前ならアリーナ内の自分のオフィスで、遠征先では会場に向かう前のホテルの部屋で、クリーニングから戻ってきたばかりのシャツに、もう一度自分でアイロンをかける。シャツの皺を伸ばすためではなく、緊張した気持ちを落ち着かせるための作業だ。世間体を気にするコーチなら隠しておきたい習慣かもしれない。しかし、もしブラウンが世間体を気にする人だったら、39歳の若さで今の成功は手にしていなかった。そうしたスタイルを通せるのは、自分のあり方に自信を持っているから。人当たりのいい笑顔の裏には、揺るがない芯の強さがあった。

芝刈りをも厭わない勤勉さで、13年でヘッドコーチに。

 ブラウンは2005年、35歳のときにキャバリアーズのヘッドコーチに抜擢された。当時、ベテラン・コーチのラリー・ブラウンも候補としてあげられていたため、地元紙に「ブラウンに決定。ただしマイク」という見出しが載ったほど、世間では無名だった。現役時代は中堅大学の平均的な選手にすぎず、ヘッドコーチの経験もなかった。かわりに底辺から真面目に一歩ずつ歩み、行動でまわりの信頼を勝ち取ってきた実績を持っていた。

 NBAの世界に入ったのは大学卒業直前の夏。最初はデンバー・ナゲッツの無給インターンの仕事だった。間もなく年給1万5000ドルのビデオ・コーディネイターに格上げになった。コーチやスカウトのために試合ビデオを編集する、地味で時間がかかる仕事だ。毎晩遅くまでビデオ編集室にこもって作業し、合間には上司から頼まれた雑用もこなした。たとえそれがGMアシスタントの自宅の庭の芝刈りであっても、快く引き受けた。その勤勉さと忠誠心が高く評価され、そこからはトントン拍子に昇格していった。ナゲッツのスカウトから、ワシントン・ウィザーズのスカウト兼任アシスタント・コーチ、さらにはサンアントニオ・スパーズでアシスタント・コーチとしてベンチ入りし、'03年の優勝に貢献。その直後にはインディアナ・ペイサーズでトップ・アシスタント・コーチに就任し、ディフェンスの全権を任された。キャブスのヘッドコーチに抜擢されたのはそれから2年後のこと。ナゲッツでのインターンから13年でのスピード昇進だった。

勝てばスターのおかげ、負ければコーチの責任。

 ブラウンに関わった多くの人が口にするのは、いかに彼が忠実かということだ。それは、単に上司に対してだけではなかった。キャブスのヘッドコーチになってからは、選手、特にチームのスーパースター、レブロン・ジェイムスと信頼関係を築くことを大事にした。スーパースターがいるチームのヘッドコーチは決して簡単な仕事ではない。勝てばスターのおかげ、負ければコーチの責任。ブラウンはそれを受け入れ、言い訳することはなかった。そこにはコーチが上であるべきというエゴはない。それでいて、いつの間にか自分の信念を反映させたチームを築いていった。

<次ページへ続く>

► 【次ページ】 まわりの声を聞き、一歩引く。ブラウンの人心掌握術。

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