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阿部勇樹「理想への階段」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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posted2006/01/12 00:00

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[若き切り札]阿部勇樹「理想への階段」

佐藤俊=文

text by Shun Sato

 11月16日のアンゴラ戦。その日、最もスタンドが沸いたのは、松井大輔がロスタイムで決勝ゴールを決めた瞬間だった。

 その次に「オォーッ」という大歓声があがったのが、稲本潤一に代わって阿部勇樹が登場した時である。残り10分でボランチに入った阿部が得点に絡むチャンスは、時間的にもポジション的にもかなり少ない。だが、その歓声は、明らかに阿部に“何か”を期待していた。

 同じことは、ジェフ千葉のホームゲームでも起きている。スタメン発表の時、プレーをしている時、ファンの歓声が一番大きいのは阿部であり、同様に、相手サポーターからのブーイングが一番多いのも阿部だ。FWでも攻撃的MFでもなく、ボランチの阿部が一番やっかいな選手だと認識されている証拠である。だが、阿部は、そうした期待や歓声に対して「別になんとも思わない」と、特に気にするそぶりはない。世間の期待が膨らむ一方で、逆にどんどん冷静になって、自分のサッカーを追求することに没頭している。

 「こういうサッカーをしたいとか、こういうプレーヤーになりたいとか思えるようになったのは、つい最近なんですよ。そういうのが見えてきたんで、今はサッカーがすごく楽しいですね」

 阿部は、ジェフのユース育ちである。ジュニアユース時代はヴェルディ川崎と横浜マリノスの全盛期で、ユースとしてプロデビューを果たした'98年は鹿島が強かった。だが、当時は、そうしたチームのサッカーに大きな魅力を感じなかったという。好きな選手も井原正巳とバレージ。今のボランチとは少し離れたところに憧れがあった。

 「子供のころは、井原さんが好きでした。みんなは攻撃の選手が好きでカズさんとか人気があったけど、僕は後ろの選手を『いいなあ』って思っていた。井原さんがスゲェなって思ったのは、サイドチェンジの時。ライナー性のボールを一直線に蹴るんですよ。自分もそういうキックを蹴りたいって思ったんで、よく練習しましたね。当時は、ヴェルディとかマリノスとか人気あったけど、僕は井原さんが好きなだけで、やってるサッカーを特におもしろいとは思わなかった。鹿島が強かったころも、ああいうサッカーがしたいなあとは思わなかった。だから、本当に最近なんですよ。オシムが来てから。サッカーをやってて本当に楽しいなって思えるようになったのは」

──オシム監督が来てから理想のサッカーが見えてきたということ?

 「そうですね。オシムが来て、いろんな面で変わりましたから。最初は、走るばっかりで『えぇ?』って思うこともあったけど、ミリノビッチ(昨年までジェフ所属のスロベニア人DF)が『すごく走らせるけど、欧州でも優勝しているすごくいい監督だ』って教えてくれたんです。走っている時はつらいけど、海外ではこれが当たり前なのかなあって思ったんで頑張れた。ほんと、開幕ギリギリまで走ってましたからね。でも、勝てるようになって楽しくなったし、負けても次は何をすれば勝てるようになるんだろうって、みんなで考えて話すようになった。前はそういう環境もなかったから……」

──3年経過して、オシムのサッカーが自分の理想のスタイルになった感じがあると。

 「そう思います。オシムによく言われるのは、ボールを早く動かして、ポゼッションして、チャンスの時はスピードを上げてゴールを目指せって。ディフェンスの時は、タイトに、危険な選手がいたら2人でカバーしろ、って言われるくらいで、指示はシンプルですけど。自分らで考えて動けって感じですね。とにかくいろんなことに臨機応変に対応できるサッカーがオシムの理想だと思うんです。まだまだオシムの目指すサッカーに達していないけど、僕自身はここ1年、やりたいサッカーをやれている。相手によってはずっとマークにつかなきゃいけなくて、攻撃に参加できないこともあるけど、やってて楽しいですからね」

 昨シーズンは、最終ラインの斎藤大輔から「上がるな」とよくストップをかけられた。ボランチの佐藤勇人も攻撃を得意としており、2人が上がれば最終ラインの手前にポッカリとスペースが空いてしまう。また、後ろのミリノビッチも頻繁に攻撃参加するため、斎藤は阿部に必ず残るように指示していたのだ。しかし今シーズン、斎藤から「行くな」という声は飛ばなくなった。リベロのストヤノフが前に上がる回数は多かったが、その時は阿部が最終ラインに入り、しっかりカバーする。そうした的確なフォローに加え、攻撃に出る際のタイミングも良くなったせいだ。実際、阿部の攻撃が効果的であることは数字にも表れた。'05 シーズンは、PK5点を含む12ゴール。ボランチとしては驚異的な数字だ。

──ゴールの目標は背番号の6だったけど、その倍を決められたのはできすぎだと思う?

 「いや、もっと決められましたね。あれを決めていたらっていうのが結構あるんで。でも、悔しい場面を覚えているということは、ペナルティエリア内に行けてるってことだから、それは良かったかなと思います」

これだけゴールを奪って、ポジションについての意識も変わった。

 「もう、まったく違いますね。ちょっと前までボランチは、中盤のバランスを取るために片方は残って、片方が攻撃に参加するという考え方だったんです。でも、'00年にベルデニック(監督)が来て、『中盤のリベロみたいな感じでやってくれ』って言われて。『えっ、中盤のリベロ?』って思ったんだけど、それからちょっとずつ考えが変わっていきました。ただ、なかなかプレーにつながらなくて……。やっぱり、自分が上がった時、相手が一緒についてきてくれたら前に行けるけど、ついてこない時はどうしようってなるじゃないですか。相手はフリーになるわけだから。それで、前に行くことを躊躇していた。でも、迷っていた時にオシムが監督になって、『もっと攻撃的にいけ』って言われて吹っ切れた。それからですね。今のように攻撃できるようになったのは」

 阿部の意識やプレースタイルが変化したのは、もうひとつ、昨年のアテネ五輪で小野伸二と一緒にプレーしたことが、きっかけになっている。

 「アテネでは攻撃で上がり切れなかった。ボールを奪って、このまま前に行きたいって思っても、相手のことがどうしても気になってしまう。『上がりてぇんだけどなあ』って思うんだけど、行けない自分にイライラしてしまった。ちょっと大事にいってしまって。それが一番悔しかった。

 でも、伸二さんと一緒にやることで、守るだけじゃなく、攻撃にもしっかり参加しないといけないことがよくわかりました。パスも出せるし、キープもできる。巧いだけじゃなく強さもあるんで、そういうところは見習っていかないといけないと思った」

 結局、グループリーグ敗退に終わったが、アテネでの戦いは、国際試合に対する阿部の考えを変えた。

 「終わった後、国際試合って楽しいなって思えたんですよ。それまでケガばっかしてて出られなかったんで、本当に損したなあって思った。チャンスを逃してきたことにバカだなって思ったんです。また国際試合をするには、もうA代表に入るしかないわけだし、その中でやりたいっていう気持ちはずっとあったんです」

(以下、Number644号へ)

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