主力を休ませるため、正月に招集された若すぎる日本代表。だが急造チームは「久しぶりに、観ていて面白い」試合を見せた。南アへ向かう岡田ジャパンに、彼らを加えても悪くない。
例年、「元日にサッカーができる幸せ」といえば、天皇杯決勝の舞台に立つ選手の専売特許だったが、今年は日本代表の19名もまた、それを享受することになった。
2010年1月1日夕刻、日本代表は大阪に集合し、新年最初のトレーニングを行なうと、翌2日にはイエメン・サヌアへと飛び立った。松の内も明けぬ6日、イエメンとのアジアカップ予選を戦うためである。
当初、日本サッカー協会はシーズンオフの休養期間を確保するため、この試合の開催先送りを要望していた。ところが、これが認められず、AFCからの通達により6日開催が不可避となると、試合に臨む日本代表は、若手中心で編成されることが決まった。
岡田武史が選んだ遠征メンバーは、異例の平均年齢およそ21歳。全19名中15名が国際Aマッチ出場経験を持たず、残る4名にしても出場実績は各1試合にすぎない。しかも、そのうち先発出場しているのは、西川周作のみ。残る乾貴士、金崎夢生、山田直輝は、いずれも短時間の途中出場である。
果たして予選突破のかかる大事な試合で、よく言えば怖いもの知らずの、悪く言えば頼りない、“若すぎる日本代表”は、どちらの顔もさらけ出すのである――。
2点目を奪われても「沈むことはなかった」(柏木)
試合開始から13分、CKから早くも先制点を許すと、青いユニフォームの選手たちは、自陣ゴール前に茫然と立ちすくんでいた。

序盤こそミスが目立ったものの、柏木(中央)ら若い日本代表は、痛快といえる攻撃を展開した
1年前の対戦時とは戦術を一変させ、高い位置からプレッシャーをかけてきたイエメンに対し、日本は「経験の少ない選手が怖がっていた」(岡田)。速いプレスに加え、雑に刈られた段差だらけの芝に苦しみ、若い選手は明らかに浮足立っていた。
それでも前半なかばからは、徐々にパスがつながり、攻撃の形らしきものが見え始めた。にもかかわらず、39分にミスが重なり2点目を失ったのだから、敗戦への流れは、もはや止めようのないものであるかに思われた。
だが、「ピッチ内の雰囲気はそれほど悪くなかった」と、柏木陽介は振り返る。
「監督に言われてたのが、お前らの持ち味は元気と明るさや、ってこと。それが試合中も頭にあったから、沈むことはなかった」
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(更新日:2010年1月26日)
筆者プロフィール
浅田真樹
1967年5月31日生まれ。大学卒業後、現職とは縁もゆかりもない一般企業勤務を経て、フリーライターとしての活動を開始。現在、「Sports Graphic Number」をはじめ総合スポーツ誌、サッカー専門誌、一般週刊誌などで執筆活動を行う。ワールドカップは5大会連続での現地観戦、南アフリカは昨年のコンフェデレーションズカップ以来、2度目の訪問となる。最近10年間でU-20ワールドカップを全5大会、U-17ワールドカップを4大会取材している、(たぶん)世界唯一のジャーナリストでもある。「大学の後輩、中村憲剛の活躍を楽しみにしています」。

























