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進化した攻撃サッカー、“無敵艦隊”の新たなる船出。 

text by

田村修一

田村修一Shuichi Tamura

PROFILE

photograph byChris McGachy/KAZ

posted2008/07/10 18:24

 ロベルト・ロゼッティ主審の試合終了を告げるホイッスルが響き渡ると、選手たちはお互いを祝福した後、ルイス・アラゴネス監督のもとに向かい、彼を2度3度と胴上げした。

 ヨーロッパでは、あまり見ることのないシーン。彼らは頂点に立った喜びを、どんな批判にも信念を曲げず、選手を守り通した老監督への、感謝の気持ちで表したのだった。

 喜怒哀楽を内に秘め、普段は感情を表に出すことのないアラゴネスも、このときばかりは喜びの輪に素直に身をゆだねた。それはこの試合を最後に、代表監督を退くつもりの指揮官にとって、最高の餞でもあった。

 6月29日、エルンスト・ハッペルシュタディオンで行われたユーロ2008決勝で、スペインがドイツを1-0で破り、44年ぶりにヨーロッパチャンピオンのタイトルを手にした。'84年、ミシェル・プラティニ(現UEFA会長)のフランス以来の全勝優勝。ほかの有力候補たちが、好不調のある不安定な戦いで次々と敗れ去るなか、終始高いレベルのパフォーマンスを維持したスペインは、優勝に値する素晴らしいチームだった。

 午後8時45分。キックオフ時のピッチの気温は摂氏27度。昼間のじりじり焼けつくような暑さは、芝生の上にまだ熱気となって残っていた。そのうえ長かったシーズンの最後に、3週間におよぶ連戦の疲れが加わり、フィジカル面では両チームとも限界に近い。そんな状況で、先に仕掛けたのはドイツだった。

 サイド攻撃が主体のドイツは、縦パスの交換からボランチやサイドバック、MFの選手たちがスペースに飛び出す、スピードと運動量をベースにしたスタイルである。疲労がたまればそれだけ運動量が落ち、スピードも鈍る。高い技術を基礎に、パスの正確さと狙いの的確さで崩すスペインとは、プレーの質の差が如実に現れる。先制点は、スペイン以上にドイツの方が欲しかった。

 だがドイツの目論見は、もろくも外れてしまう。最初は少々混乱した縦への飛び出しに、マルコス・セナとカルレス・プジョルを中心とするDFが的確に対処しはじめたスペインは、14分のアンドレス・イニエスタのセンタリングを機に、徐々にリズムを掴みはじめる。

 選手が近い距離を保ち、複数のパスコースを作ってダイレクトパスとミドルパス、ドリブルを織り交ぜて崩す得意の形から、スペインはチャンスを生み出す。

 「(23分に)フェルナンド・トーレスのヘディングがポストを直撃し、われわれは自由になった。プレスをよくかけ、ライン間の関係も改善された」(アラゴネス)

 33分、セナからの速い楔のパスを受けたシャビ・エルナンデスが、そのまま前線のトーレスへ。ワンタッチでボールを曝したトーレスは、フィリップ・ラームに体を入れ替えられながら背後からさらに追い越し、飛びだしたGKイェンス・レーマンの鼻先を掠めるループシュートを、再びワンタッチで放った。

 「(動きをよく見て)リラックスして打てた」とトーレス。一方ラームは「トーレスが後ろから来ているのがわからなかった」という。

 ボールはそのままゴールに吸い込まれ、先制点はスペインがあげたのだった。

 後半に入り、負傷したラームに代えマルセル・ヤンセンを投入したドイツが、前半同様にスタートからプレッシャーをかける。だが運動量に乏しく攻撃を継続できず、DFブロックを下げたスペインを崩すには至らない。

 それでも流れが変わりかけた瞬間はあった。58分にボランチのトーマス・ヒツルスペルガーに代えストライカーのケビン・クラニーを投入し、ロングボールをトップに当てフィジカル勝負を狙った時間帯。スペインDFは押し込まれ、戦いは最終ラインでの攻防となった。

 もしもこの攻撃を続けていれば、スぺインの守備にも綻びが生じたかもしれない。しかし前半から腰に手を当てる選手が何人もいたドイツには、それはできない相談であった。

 アラゴネスも動いた。疲れのみえるセスク・ファブレガスとダビド・シルバに代えて、シャビ・アロンソ(63分)とサンティ・カソルラ(66分)を投入。彼らの運動量で、傾きかけた流れを再び引き戻したのだった。

 さらに彼は、先に最後のカードを切る。トーレスを下げ、ダニエル・グイサを78分に投入。前線を活性化させてカウンターアタックの態勢を整え、同時にドイツのロングボールの出所を制限しようとした。するとそれを待っていたかのように、ヨアヒム・レーブもミロスラフ・クローゼをマリオ・ゴメスに代えて、最後の勝負に出る。

 だが“同点に追いつけば勝つのは我々だ”というドイツの威嚇も、アラゴネスはカラ元気であることを見切っていた。そしてスペインにはセナという、味方の運動量が低下したときに、守備ばかりか攻撃の最終場面にまで加わり、相手に脅威を与えるMFがいた。ロスタイムの3分をやり過ごすのは、スペインにとってそう難しいことではなかった。

 「プレースタイルは2年前と同じ。グループもほぼ同じ。どう守り、どう点を取れば勝てるかを、W杯でフランスに敗れた後、彼らは2年間で学んだ」とアラゴネスはいう。

 時間をかけてチームを成熟させるという概念は、スターシステムが伝統的に根強いスペインでは、希薄な概念なのだろう。ましてやそれを、選抜の寄り合い所帯である代表で行うのは、考えられないことかもしれない。

 しかしアラゴネスは、成熟なしには代表の勝利もあり得ないことを、批判に耐えながら実践した。そして今、彼は高らかに宣言する。

 「スペインは世界のモデルになれる。それだけ優れたサッカーをわれわれはしている」

 長い雌伏のときを経て、無敵艦隊の本当の時代がはじまった大会として、ユーロ2008は後世に語り継がれるのだろう。

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