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桑田真澄 ~完全復刻版インタビュー~
「目に見えない力を感じながら」 

text by

石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

PROFILE

photograph byDaisuke Yamaguchi

posted2009/08/15 08:00

桑田真澄 ~完全復刻版インタビュー~「目に見えない力を感じながら」<Number Web> photograph by Daisuke Yamaguchi

序盤、中盤、終盤……桑田が池田神話を崩壊させる。

 そして、池田神話の崩壊が一挙に現実味を帯びたのは、6回表の池田の攻撃だった。2番の金山光男、3番江上が続けてセンター前に運び、ノーアウト一、二塁。ここで4番の水野。しかし水野は低めの力ーブを引っ掛けてしまい、打球は桑田の目の前へ――ボールはサードからファーストヘと渡り、ゲッツー。チャンスの芽は一気に萎み、5番、吉田も力ーブを打たされ、ショートゴロ。どうしてもホームを踏めない山びこ打線に、もはや奇跡を呼び起こす余力は感じられなかった。

「僕は、野球では“3”という数字を大事に考えなくてはいけないと思っています。ゲームでも、序盤、中盤、終盤の3度、ピンチがあると覚悟しているんです。あの試合でも3度、ピンチがあった。そのうち2度は、ゲッツーで凌いだんじゃないかなぁ。おそらく甲子園でゲッツーを一番多く取ったピッチャーって、僕じゃないですか。だって、送りバントをされても躊躇なくゲッツーを狙いにいきましたからね。

 当時は金属バットですから、バントの構えをするのが見えたらアウトコースのサインが出ていてもインハイに行くんです。そうすれば必ずコーンって跳ね返ってくる。投げるのと同時に前に出て、振り向きざまに、セカンド。そうすれば、ほとんどゲッツーが取れましたね。三振は、取りたいときに取れればいい。ノーアウト一、二塁で三振なんかいらないじゃないですか。ゲッツーなら1球でツーアウトになる。PLの守備は抜群でしたし、セカンド、ショートは特にうまかった。

 だから、僕はセカンドゴロ、ショートゴロを打たせるのが大好きでした。それで軟投派とか言われましたけど、まっすぐと力ーブだけの軟投派なんて、いますか? 僕は高校の3年間、まっすぐと力ーブだけでしたよ。超、本格派じゃないですか(笑)」

わずか1時間25分で池田の甲子園3連覇を阻止したPL。

 PL学園7-0池田。

 決勝進出はPL、池田は甲子園3連覇の夢を断たれる。試合時間は、わずか1時間25分。時代の主役は、入れ替わった。桑田は実に14個のアウトを内野ゴロで奪った。被安打5本、与えたフォアボール3つ、奪三振は1個ながらも3つの併殺を奪い、山びこ打線を102球で完封――翌日の新聞には『池田まさか』『15歳桑田に沈黙』『横綱のんだ1年坊主』といった見出しが躍っていた。

「1年生で甲子園に出られて、1回戦でいきなり先発、完投して(所沢商戦)、2回戦では完封、ホームランも打った(中津工戦)。その後には苦戦も経験(準々決勝の高知商戦は、序盤でPLが8-0とリードしながら桑田が5回に一挙5点を失って降板、最後はPLが10-9で辛うじて逃げ切った)して、しかもノックアウトされたおかげで十分な休養もとれた(苦笑)。で、準決勝で池田と当たったでしょう。だからこそ、あの試合が僕の分岐点になったんだと思うんです。

 もし1回戦で当たっていたら、向こうも気合いが入っていたでしょうし、こてんぱんにやられていたかもしれない。あるいは決勝で当たっていても、多分勝てなかったでしょう。向こうは決勝を見据えて準決勝を戦っていたと思います。今年のPLなら普通にやれば勝てるはずだ、1年生ピッチャーを打てないわけがない、という傲りがあった……つまり、すべてのことがこちらへの流れに傾いていました。それが、“目に見えない力”なんですよ」

「あの試合に負けていれば今の僕は無かった」

 プロ20年目のマウンドに立つ37歳になった桑田真澄は、今につながっている22年前のあの日を、こんなふうに位置づけている。

「もしあの試合で負けていたら、今の僕はなかった。たとえば同じボールでも、投げたコースが狙われていれば打たれていただろうし、そうでなかったから打たれずに済んだ。それって雲泥の差ですよね。ド真ん中でも、バッターが見逃すだけで最高の一球になる。バッターだって、練習でいくらホームランを打っても、試合で3球、アウトローにビシッと決められたら打てないですよ。人間は、そういう“目に見えない力”に支配されていると感じるからこそ、僕はグラウンドに落ちているゴミをポケットにいれるわけです(笑)。

 もちろん、そうしたからといって野球がうまくなるわけじゃないですよ。でも、その積み重ねが今の僕を作ってくれた。だから、今でも僕は努力することが好きだし、努力し続けることができるんだと思っています」

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