Number ExBACK NUMBER

SPIRITS OF TOYOTA 「眠れる獅子、トヨタの覚醒」 

text by

尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

PROFILE

posted2005/03/17 00:00

 「われわれには、『やめる』という選択肢はない。トヨタ自動車という看板を背負って戦わせてもらっている以上、勝って出口の扉を開けるしかないんです」

 2005年1月1日、トヨタF1の本拠地、ドイツ・ケルンにあるTMG(トヨタ・モータースポーツ有限会社)の副社長に就任した木下美明は、4年目のシーズンを前に自らに課せられた重責を、こう表現した。

 忘れられない辛苦の記憶が木下にはある。'96年、トヨタがアメリカのCART選手権に参戦していたときのことである。あまりに多くのエンジンブロウを引き起こすトヨタ勢に対して、ライバルチームからこんな罵声が浴びせられた。

 「コースが汚れるから、もう走らないでほしい」

 レース主催者からも、「われわれに何か助けられることはありませんか」と、揶揄された。

 そんな泥沼の状態から脱却を図ったのが、当時トヨタのCART活動の総責任者だった木下美明だ。木下は'90年代前半にトヨタがWRC(世界ラリー選手権)で苦しんでいた際に、チームの立て直しに力を尽くした人物だった。木下はエンジントラブルの解決策を探るだけでなく、チームにエンジンを供給するというマニュファクチャラーという枠を超えて、チーム側の体制の問題にも首を突っ込んだ。

 当時、トヨタがCARTでエンジンを供給していたチームは、どこも経験の乏しい弱小チームばかり。モータースポーツで勝つためには体制づくりが大切だと考えた木下は、車体を開発するための風洞施設での実験を積極的に援助。さらにトップチームへのエンジン供給を次々と決めていった。木下のやる気が、本社を本気にさせ、トップチームを動かしたのである。こうして参戦5年目にして、トヨタはアメリカン・モータースポーツの最高峰クラスで初勝利を挙げるのだった。

 それから5年後、トヨタは優勝請負人ともいえる木下を「もう彼しかいない」(齋藤明彦副社長)と、F1へ送り込んだのである。モータースポーツの最高峰に位置するF1は、登山にたとえるとエベレスト登頂である。6000m、7000m級の山はほかにもあるので、そこまでは比較的容易にたどり着くことができるだろう。しかし、そこから先は未知の世界。8000m級の山を制した者の経験が重要となる。

 国内市場で過去最高の44・4%のシェアを獲得し、世界販売でも752万台とフォードを抜いて世界第2位の座に就いたトヨタ。連結決算では1兆円を超える経常利益を挙げるなど、日本を代表する世界の勝ち組であるトヨタが、WRC、ル・マン、そしてCARTで世界と対峙してきた木下にTMG副社長の任を命じたのは、そんな理由からだった。

 じつは木下はTMGの副社長になる前の2004年から、トヨタ本社のモータースポーツ部長として、F1活動にかかわっていた。ちょうど同じころ、トヨタはルノーからマイク・ガスコインをヘッドハンティング。車体開発のトップに据えた。

 しかし、今回トヨタはそのガスコイン率いるTMGの車体開発部門とルカ・マルモリーニ率いるエンジン開発部門の2つを統括するTMGの副社長として、木下を送り込んだのである。しかも、今回の人事ではトヨタ本社のモータースポーツ部長との兼務というユニークな形態がとられた。

 なぜ、兼務なのか。これまで、トヨタはケルンのTMGをF1の前線基地、日本の東富士研究所を先行開発基地に割り当て、分業をはかっていた。しかし、時代は急速にスピードアップしている。さらにレギュレーションもこの3年間でめまぐるしく変更された。それに対応するには、『現場はTMG、開発は東富士』と分けていては時代に取り残されてしまう。東富士が行っている開発技術をいかに現場の技術にシンクロさせていくか。それには、日独のトップが同じ人間である方が効率的だというのが、トヨタの答えだった。さらに木下は兼務によるメリットを次のように説明する。

 「これまでもテレビ会議などで意思の疎通は図ってきたつもりですが、それも毎日は行えない。1週間に1回なら1週間分のズレが、1カ月に1回なら、1カ月分のズレが生じます。もちろん私が二職を兼務しても、ズレを100%埋めることはできないかもしれない。けれど、そのズレをなるべく小さくすることはできる。それには日本の開発陣とTMGの技術陣をすべて自分のコントロール下に置くのがベストだと考えました」

 自分のコントロール下に置いた木下が最初に入れたメスは、車体開発のトップにいるガスコインの仕事だった。というのも、ガスコインはシーズン中、グランプリが開催されるたびにファクトリーを空け、サーキットへ出ていってしまうからだ。

 「開発の現場に判断を下す人物がいなければ、開発はストップしてしまう。本来はマイクがTMGにいるのが理想です。でも、現場ではときどきドライバーが『こんなクルマじゃ、運転できない』なんていう状態になる。そして悲しいかな、そういうドライバーに『F1とはこういうものだ。つべこべ言わずに走れ』と言える人物がマイク以外に現場にいないんです。F1ではネームバリューが結構、必要なんです」(木下)

 そこで、木下はサーキットへ出かけるガスコインに、ある対策を打たせた。それは携帯メールである。いまガスコインの携帯電話には5分おきにメールが次々と届けられている。送られてくるのは、風洞実験の結果だ。そして、それは風洞実験が予定通り進んでいることを意味する告知でもある。もし風洞の結果が予想していたものからはずれていたり、開発の方向性で判断に迷ったときは、直接電話が入ることになっているという。

 こうして、ひとつひとつ問題をクリアしていく木下のスケジュール帳は、年末までビッシリと色分けされている。一つは日本勤務を示す無色、もう一つはケルンのTMG勤務を表す水色、3つめはグランプリに赴く黄色、それから移動日の紫色だ。現在、無色と水色の数は約150日ずつと、完全なる二重生活状態となっている。

 4年目を迎えた2005年のトヨタF1の新車発表会の席上、チーム代表の冨田務TMG会長は、「今年こそ、全戦ポイント獲得を目指したい」とバルセロナに集まったヨーロッパ各国からの外国人プレスに対して、英語でスピーチした。「今年こそ」と前置きしたのには、理由があった。じつは冨田務TMG会長は前年にも「全戦ポイント獲得」を公言していたからだ。ところが昨年は、トヨタは緒戦から失速。初入賞まで6戦も費やし、コンストラクターズ選手権8位に終わった。しかし、木下はこれまでのトヨタF1の結果を冷静に受け止める。

 「3年で結果が出るほど、F1は甘くないですよ。そんなに簡単に勝てるカテゴリーだったら、わざわざトヨタが会社をあげて参戦する必要なんかない。これくらいの苦難は予想の範囲内です」

 そのうえで、昨年のマシンTF104の開発に関しては、厳しい分析を行った。

(以下、Number623号へ)

F1の前後の記事

ページトップ