近江谷安菜は長野五輪男子カーリング代表選手の愛娘。
トリノ五輪にかぎらず、カーリングは、大会ごとに一定の注目を集めてきた。長野五輪では、男子が大きく脚光を浴びた。
そのときのメンバーだった近江谷好幸の娘、杏菜がチーム青森に正式に加わったのは、'08年1月のこと。「バンクーバー五輪後も見据えて若い選手を」というのが理由だった。
父が出場した長野五輪のときは小学2年生。

近江谷杏菜 (おおみや あんな)
1989年10月12日、北海道生まれ。網走南ヶ丘高校卒。青森市役所所属。趣味はF1観戦、手芸。165cm
「カーリングはまだわからなくて。でも、父がテレビに出ているのには感動しました(笑)」
小学6年生のときには、本橋がスキップを務めるチームでプレーし、日本ジュニア選手権優勝も経験するなど競技歴は長い。
近江谷は、青森に誘われていなければ、選手をやめていたかもしれない。高校卒業を控え、近江谷はカーリングを続けるかどうか悩んでいた時期があった。遊びとしてなら続けられるけれど、やるからには世界を目指したい。でも選手として続けられる環境があるかどうか。競技をやめて就職することも考えていた。だからチーム青森からの勧誘は、願ったりかなったりだった。
「やるからには必ずメダル」
強い覚悟とともに青森へと渡った。
加入の理由はどうあれ、当初はリザーブだった近江谷は、覚悟のとおり練習に打ち込み、今ではチームのサードを任されている。長野との代表決定戦でも、好ショットでチームを引っ張った。
5人全員がチームのために戦える最高のメンバーがそろった。
このようにして集まってきた5人のメンバーは、いざそろってみると、計算されていたかのように、バランスがとれた構成となった。
「カーリングでも個々のポジションで役割があるように、このチームは性格もうまい具合に違う5人が集まっています。しかもそれが絶妙の人間関係なんです。だからとても仲がいいし、チームワークがあるんです」
とは、石崎の解説である。
ただ友達として仲がよいという意味ではない。カーリングは「チームワークのスポーツ」であるとも言う。2時間半前後におよぶ試合の中で、アイスの状態、ラインをどう取るか、それに応じてどの程度強くストーンを押し出すか、あらゆる局面で正確なコミュニケーションが重要となるからだ。
チームワークがよいからこそ、スキップの目黒は、「いかにしてみんなのよさを引き出すか」を常に心がけてきたと言う。
「私はがんがん自分で引っ張っていくタイプじゃないということもありますが、あとから入ってきたメンバーも含めて、『チームのために』という気持ちが強い人ばかり。だからうまくまとめて、勝利につなげられれば、と」
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(更新日:2010年1月25日)
筆者プロフィール
松原孝臣
1967年、東京都生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。著書に『お酒の資格と仕事』『高齢者は社会資源だ』など。その後「Number」の編集に10年携わり、再びフリーに。五輪競技を中心に取材活動を続け、夏季は'04年アテネ、'08年北京、冬季は'02年ソルトレイクシティ、'06年トリノ、'10年バンクーバーと現地で取材にあたる。

























